『主戦場』みました

 Miki Dezakiという日系アメリカ人が慰安婦問題について撮ったドキュメンタリー映画『主戦場』を観た。
 日系アメリカ人という立ち位置は、この問題を映画にするのに、最適とまで言わないにしても、日本人のだれそれ、韓国人の誰それが撮るよりは、はるかにバイアスのかからない視点が期待できる。
 現に、論旨がまとまっていて見やすかった。その見やすさが、ドキュメンタリー映画としては、価値を減じているかもしれない。それは、先日、『盆唄』について書いたことと同じで、やはり、ドキュメンタリー映画は、フレデリック・ワイズマンの『in Jackson Heights』のように、極力、主観を排したほうがよいと思う。マイケル・ムーアがその真逆をやってスタイルを確立したけれど、あれは、マイケル・ムーアというキャラクターが映像の中で道化を演じるからこそ成立するので、もしそうでなければ(ということを言っても仕方がないけれども)、あれは低級なプロパガンダと呼ばれるだろう。
 いいかえれば、アメリカ社会で公然と行われているプロパガンダアメリカ人自身が百も承知、かあるいは、薄々そう思っているという状況があってこそ、そのプロパガンダにカウンターを当てる、マイケル・ムーアという個人の反プロパガンダが痛快なのである。
 その意味では、今回のDezaki監督のやりかたはすれすれの危ういやり方だったと思う。わたしとしては、すべてがバストショットのインタビューだけで構成されている、くらいの突っ放し方の方が、もっと響いただろうと思う。やや、まとめすぎていると感じた。
 にもかかわらず、やはり、最初に書いたように、日系アメリカ人という立ち位置が、小さな傷を救っている。観る価値のある映画だと思う。
 私が不満に思った点をいくつかあげておく。
 いちばんひっかかった問題点は、韓国挺身隊問題対策協議会のユン・ミヒャンが「日本は謝罪していない」と発言したのに対して、「いや、日本は何度も謝罪している」と反駁をくわえたのは当然として、しかし、韓国人が、日本人が謝罪していないと感じるのは、謝罪した後から、日本人が、それをひっくり返すからだとして、議員の靖国参拝を上げている点。この点は、論旨が逸脱していると思えた。
 このブログの過去ログを読んでもらえばわかるが、私は、靖国には問題があると書いてきた。しかし、それは慰安婦とは何の関係もない。議員が靖国に参拝する、から、韓国人は日本人との合意を一方的に破棄していい、という理屈は、見過ごせないと思う。
 日本政府は、何度も謝罪している。のに、「日本人は謝罪していない」と挺対協の代表が言うのを、さらりとスルーするわけにはいかない。もし、日本人が慰安婦問題について冷淡になってきているとしたら、何度謝罪して、そして、何度合意に達しても、かれらが一方的に合意を破棄することを繰り返してきたからであって、先日、韓国の文喜相国会議長が「天皇に謝らせろ」みたいな発言をした時も、怒るというより冷ややかな反応が支配的だったと私には思えた。
 日本政府は何度も謝罪した。そして何度も合意に達した。にもかかわらず、韓国側は、何度も、その合意を一方的に破棄した。そして、今、「日本人は反省しない」とか言っているのだが、これは、誠意のある態度なんだろうか?。
 もう一点は、この問題が、人権問題に事寄せた日本人に対するヘイトではないのかという点について、Dezaki監督は、ソウルの慰安婦像の前のデモについて「もっとヘイトな雰囲気を想像していた」と言っているが、それは、最初に書いたが、Dezaki監督が日本人ではないということを、故意にではないにせよ、無視している。もし彼が、日本人の映像作家としてそこに現れた時、同じように感じるかどうかはわからないし、韓国人が同じような態度かどうかもわからない。
 加えて、グレンデール慰安婦像を設置した韓国系の活動家フィリス・キムが、裁判では、「なぜ慰安婦像を設置することがヘイトなのか?」と発言していたにもかかわらず、インタビューでは「中には日本人に対してヘイトの感情を抱いているものもいる」と認めている。私にはこれは重大な矛盾だと思える。なぜなら、どんな行為でも、ヘイトの意思でやっているなら、それがヘイトであるのは言うまでもない。「日本人に対する憎悪」から慰安婦像を建てているなら、その行為はヘイトなのである。たとえば、フィリス・キムの言い方を借りて、「なぜ指で目尻を釣り上げる行為がヘイトなのか?」と、いけしゃあしゃあと尋ねたとしよう。答えは簡単だ。そこにヘイトの意思があるからヘイトなのである。
 この活動家フィリス・キムは続けて「しかし、それ(韓国人の日本人に対するヘイト行為)は慰安婦の受けた被害に比べればちいさなものだ」と言っている。いったんは正しいように思える。しかし、その理屈は、「慰安婦の中には強制されたものもいる。だが、それは一部だ」という右派の理屈とどう違うのか?。
 そして、この点に関して、もっとも重要だと思うのは、韓国人が日本人に対して行っているヘイトは、今、現に行われているヘイトだということだ。韓国人の活動家の中に「日本人に対するヘイトからそれを行っているものがいるのは確か(と、そう発言したと思うが)」なら、それは今まさに行われているヘイトなのである。80年前の戦争中の話ではないのだ。
 グレンデールのスピーチで、「私たちは戦場でのレイプがなくなるまでこれをやめません」と言っているひとがいたが、ベトナム戦争は第二次大戦のあとなので、戦場でのレイプを繰り返したのは、韓国人であり、アメリカ人なのである。この点についても、ベトナム戦争慰安所を作った韓国の軍人は、旧日本軍の幹部だったから、韓国の慰安所も日本軍に責任の一端があると言った日本の歴史家がいたのだが、その矛盾に気が付かないのに驚くのだけれど、だったら、第二次大戦中の慰安所についても、韓国人にも責任の一端があることになってしまう。慰安婦にも日本人も韓国人もいて、軍部にも日本人も韓国人もいたのに、なぜ、可哀そうな慰安婦は韓国人、悪い軍人は日本人ということになるのか?。とりもなおさず、それがヘイトなのである。違うだろうか?。
 最後にもう一つ、これは、ちいさな疑問なんだが、インタビューの中で何度か「秦郁彦」についての言及があるにもかかわらず、なぜ、秦郁彦氏自身にインタビューしていないのかに首を傾げた。秦郁彦済州島に実地調査に赴き、吉田証言のウソを暴いた。このことがのちの朝日新聞の記事の撤回につながったのであり、故人というわけでもなく、また、何度か言及されているのに、インタビューも、証言映像もないのはフェアでないように思えた。何か事情があったのかもしれない。
 ちなみに安倍総理にもインタビューはしていないが、これは国会での答弁の映像がある。例の「狭義の強制性」についての発言だが、それを受けて「狭義の強制性がないから罪がないとはならない」と「女たちの戦争と平和資料館」の渡辺美奈が言っていたが、何度も謝罪しているのだから「罪がない」と言っているはずがない。「狭義の強制性」とは、ありていにいえば吉田証言のことであって、トラックで若い女性を狩り集めたといったことはウソだといっているにすぎない。現にウソだったんだから、これは、慰安婦をめぐる証言のまぎれもないウソの一例なのである。ウソをウソだと言ってなぜ非難されるのか。つまり、慰安婦は、一ミリのウソもない存在として、もはや聖性を帯びてしまっている。これは、フェミニズムが男女が逆転した性差別にすぎない証明でもあるだろう。
 慰安婦の証言について、昔のことだから、記憶があいまいになるのは仕方がないについて、何の異論もない。しかし、日本政府にかぎらず、政府が公式に謝罪するについて、二転三転するあいまいな証言に対して謝罪できるかどうかをかんがえてもらいたい。アメリカ政府なら謝罪するだろうか?。にもかかわらず、日本政府は謝罪しているわけだし、謝罪すべきだと思うが、韓国側が、勝手にその合意を反故にしたのではなかったか。それについても日本の責任なんだろうか?。
 というわけで、私の中では、この結論はやはり出てしまっていて、第二次大戦中の慰安婦の存在は、もちろん重大な人権侵害なのであるが、それは、大日本帝国の軍部がやったこと。あの連中は、自国の若者を爆弾を積んだ飛行機に乗せて敵艦に突っ込ませていたのである。レイプぐらいなんでもなかったろうことは容易に想像がつく。そして、その連中はもうとっくに縛り首で死んだ。
 だが、いま、韓国と日本のあいだで問題になっている「慰安婦問題」はそれとはほぼ関係がなく、単に、韓国人の日本人に対するヘイト行為にすぎない。
 俯瞰してみれば、この慰安婦問題と同じ時期に「日本海を東海と呼べ」とか「日章旗を使うな」とか「日章旗に似た横尾忠則の絵を撤去しろ」とか、韓国人、あるいは、韓国系アメリカ人からの要求が矢継ぎ早に行われている。「日本海を東海と呼ぶ」ことが人権と何か関係があるか?。これは歴然と差別なのである。韓国が経済的に発展する一方で、日本は経済政策の失敗で没落していく、そして、韓国人は日本人に復讐心を抱いている。という構造があるかぎり、そこに何が起こるかわからない方がどうかしている。慰安婦は差別の依り代にされているだけだ。日本からの賠償金を受け取った元慰安婦は、韓国人からバッシングされるのだ。被害者をバッシングするのはセカンドレイプではないのか?。
 どんな差別も正義の名の下でおこなわれる。その正義がこのばあい「慰安婦」の姿をしているというだけである。
 AERAのインタビューによると

日系米国人の私は、同じマイノリティーである黒人やヒスパニックからも差別を受けるマイノリティー中のマイノリティーでした」
 当時、アジア人差別は他のマイノリティーへのそれと比べ、メディアにも十分に認知されていなかった。それはデザキさんにとって二重の苦しみとなった

ということだそうだ。だとすれば、いま、私たちが目の前にしている韓国人の日本人に対するヘイトも、それが世界に認知されていないかぎり、これから長く人を傷つけることになるだろうと思う。おそらく、より大きな災厄につながるだろう。
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