第六回 雀昇ゆかいな二人

夏の雀三郎独演会のときから行くのは決めていたのだけれど、チケットを買うのが後回しになってしまって、今回は二階席になってしまった。距離感は悪くもないけど、せっかくのかみしもの使い分けがはっきりしないのは損した気がする。
今回、雀三郎師匠は、昼は満腹ブラザーズをひきいてコンサート、夜は昇太さんと落語会なのである。
そういえば、柳家小三治師匠も声楽を寄席で披露したりしているし、バイク、スキーなど、好奇心旺盛。
雀三郎師匠も多趣味でいっちょかみなところが似ているのかもしれない。
この会、わたくし二度目なのだけれど、前回は帰りが十時近かったのに、今回は八時ちょい。もしかしたら開始時刻が早かったのかも。
演目は

桂 団次郎 「動物園」

春風亭 昇太 「長命」

桂 雀三郎 「親子酒」

春風亭 昇太 「花筏

桂 雀三郎 「胴乱の幸助」

前座を務めた団次郎さんは高座を下りる時、めくりをめくり忘れた。これは彼のために言い訳しておくと、上方の落語会では、めくりはお茶子がめくってくれる。それで、上方の噺家が東京に来る場合、これはつい忘れてしまうことがあるのかもしれない。
でも、心理的に説明すると、オチのところで「口を耳元に持っていって・・・」というところを「耳を口元に持っていって・・・」とやっちゃったのである。それが尾を引いて忘れちゃったんだと思うな。客にしてみるとそれくらい気にならないんですけどね。むしろ、そこでほんの一瞬、噺が止まったのがすごくおかしかった。
落語を聴きに行く客なら、「動物園」のオチなんてほぼみんな知っているだろう。だから、あんな言い間違いは、言い直しても、言い直さなくても、何の支障もない。
ところが、現実に起きたことは、団次郎さん、いい直そうかな、いい直すまいかなと一瞬迷った。不思議なんだけど、こういう一瞬の逡巡が客にわかる。わかった瞬間がすごくおかしかったのである。現にオチの寸前に笑っちゃった客もいた。
落語って、細かい芸だし、でも、そういうことが笑いなんでしょうね。
たとえば、この次、この「動物園」というねたを演じるときのまくらに、このエピソードを持ってくるとする。
「いや、実は、以前『動物園』を演じたとき、オチのところで・・・」
と。で、現にオチのところで、どういう笑いが可能だろうか?演出次第では面白くなる。
三遊亭円楽さんが亡くなって間もないので、昇太さんの枕は円楽さんの思い出話。
あるとき円楽さんにこう言われたそうだ。
「昇太くんは名前を変えるべきだね」
柳昇をつげって言う意味なのかなと期待しつつ
「どうしてですか?」
と聞くと
「名前が小さいから」
といわれたそうだ。
この小話(?)を聞いて私は思った。ほんとに、そろそろ昇太さん、大きな名前を襲名したほうがいいんじゃないかなと。
ルックスからも、なんかすっごい若手みたいにとられがちなのではないか。微妙なことだけれど、いい潮時みたいな気がする。
雀三郎師匠の「親子酒」と「胴乱の幸助」は、前回の「神頼み 初恋編」と「三十石」から一転、両方とも桂枝雀演出の色が濃い噺だという気がした。
とくに「胴乱の幸助」は構成が緊密で、筋立てで笑わせる噺なので、意外にアドリブで遊べない。緩急、押し引きの妙という点では、桂枝雀に勝る人はなかなかいないだろう。
枝雀は、キャラクターの誇張という点でも優れていた。ちっちゃいおっさんがちょこまか動く感じが何ともいえなかった。たとえば浄瑠璃の稽古の場面、他の野次馬は中が見えるのに、胴乱の幸助には中が見えない。枝雀の演出では、それがしぐさだけでわかった。
でも、桂枝雀というひとのルックスもうまく合っていたのかも。
たとえば、桂ざこばが十八番にしている「天災」は、桂吉朝小三治さんの噺を聞いて上方落語に移植したものだったが、あの噺はみょうに桂ざこばにあう。そういうことってあるんじゃないかと思う。
「胴乱の幸助」は、夏の独演会に引き続き二度目だった。
まぁ、夏に東京で聴いて、秋にまた横浜に来ている客を想定する必要があるかないかは微妙なところだけれど。
それから、時間を少々押しても、まくらをもっと長めに聴きたいと思った。
ひるまの満腹ブラザーズの話とか、還暦の三十日連続興行の話とかちょっと聞きたかった気がする。