ダブルジョーカー

ダブル・ジョーカー

ダブル・ジョーカー

この著者の本はとにかく面白いのがまずすごい。大ヒット作、『ジョーカーゲーム』の続編、とにかく読ませる。
しかし、これだけのヒットになったのは、「何事にも囚われず、自分の目で世界を見ること」
というテーマが、いまの時代に渇望されているからではないかと分析する。
つまり、役人のプロパガンダ、政治家の公約、マスコミの報道、くわえて某巨大掲示板のお祭りまで、全部並列にならべて疑ってかかってみようという成熟した大人の態度が根付きつつあるのだと思う。
一方でそれは、大マスコミが見捨てられつつあるか、すでに見捨てられたかのどちらかであることも意味している。
それは、一貫して小泉批判をし続けたマスコミに世論がほとんど同調しなかったこと、また、すでにうやむやになった観のあるが、小沢一郎の第一公設秘書の逮捕劇にあっても、ほとんどすべてのマスコミが小沢一郎バッシングをくり広げたが、民意の下した結論は、マスコミの誘導の真逆だったことからもわかる。
この十年の間に、テレビと新聞は、少なくとも報道機関としては、完全に信用を失ったといっていいだろう。
思い返してみれば、現在の報道機関は、戦時中には、大本営発表をそのまま垂れ流し続けて、戦意をあおりつづけたのだから、公正な報道を期待する方がむしろ無理だった。
多くの人は今マスコミについてこう思っているだろう。
「信用はできないが、まだ利用はできる」
いつぞやの海外紙のいいぐさではないが
「使えるうちは捨てることもない」
というところだろう。
しかし、使えなくなる日もそう遠くなさそうではある。