笑福亭仁鶴一門会

knockeye2014-01-02

 大倉山駅を降りたところにある神戸文化ホールで、笑福亭仁鶴一門会を聴いた。中入り後の曲芸をのぞくと、仁昇、仁矯、仁智、そしてもちろん仁鶴。
 演目は、
 仁昇 「子ほめ」
 仁矯 「八五郎坊主」
 仁智 「源太と兄貴」
 仁鶴 「正月丁稚」。
仁智さんは当然として、仁昇さんは、なぜか、この前の(といってもずいぶん前になるが)神奈川の落語会にも随行していた。この人についての私の印象、‘よく噛む’。しかも、その噛みようというのが、‘舌がノドにつまってんのちゃうか?’というくらいよく噛む。しかし、なんつうのか、味というか、華というか、そういうものがあるんでしょうな。落語会で、アナウンサーみたいな日本語を聴いてもしょうがないし、こないだツイッター見てたら、横尾忠則が「私にとって、‘絵がうまくなる’は、‘絵が下手になる’と同義語」と書いていたので、うまくなる必要はないと思うけど、ただ、そもそもこのひと、「なんで噺家になろうとおもたんやろ?」という素朴な疑問が浮かびはする。
 仁智さんがもう還暦をすぎてるっていうのは驚いたけど、まあそうか。
 上方で創作落語をやる人も多いと思うけれど、私の知っている中では、笑福亭仁智桂雀三郎桂文珍、がおもしろいと思う。そんなこといえるほど大勢聴いているわけではないけれど、お三人とも古典もうまいし、それに加えて、わたしがこのお三人さんを好きなのは、世の中に対する態度が噺家らしい。目の付けどころが噺家だねつう感じ。
 創作落語というと、どうしても桂文枝という人をあげないわけにはいかないけれど、わたしの印象としては、ちょっと‘作品意識’が強くて、なんか落語じゃない別のものを聴いているような気がするわけ。これは見方を変えると褒め言葉にもなるが、わたしがつまり何が言いたいかというと、「ゴルフ夜明け前」みたいに、やりようによっては映画になる噺よりも、これはどうしたって「落語にしかならんで」、「落語にでもしとこか」っていう噺が聴きたいわけです。それで、もうちょっと仁智さん、雀三郎さんにスポットが当たってほしいなと。
 昔はお正月というと、サンケイホールの米朝一門会が気にかかったものだった。毎年、いきましたというと、これはうそになるけれど、毎年、気にかかった。じゃあなぜ毎年いかなかったかというと、わたくし計画性がゼロ、永遠のゼロなので、正月だと思って、チケットをとろうという頃には、すでに完売しているという、なかなかのプラチナチケットだったもので。
 これも前に書いたけれど、在りし日の正月は、米朝一門会があって、それとは別に、枝雀一門会があったと記憶しているが、その後、枝雀が亡くなり、吉朝が亡くなり、米朝一門ではないが、七代目松鶴をつぐはずだった笑福亭松葉が亡くなり、上方落語ではないが、古今亭志ん朝が亡くなり、米朝師匠が高座を下りて、ぱたぱたとすっかり寂しくなってしまった。
 仁鶴師匠は、まだ若いときに喉を傷めて、それからしばらく逼塞した時期があり、それから、推測だけれど、「歯がゆい」思いをしながら高座に上がっているのだろうとお見受けする。それで、必要以上に‘引き気味’になっている気がする。
 以前、「崇徳院」を聴いたけれど、絶品だった。喉に難がある状態でも、大きく出ない声を大きく聴かせる、メリハリのでないところにメリハリを聴かせるという工夫は、無責任な言いぐさながら、可能だろうし、やる価値があると思った。私としては、上方落語で一番聴きたい噺家は、今でも、笑福亭仁鶴である。