上方落語会〜ザ・大阪〜

knockeye2016-02-11

 いまや上方落語笑福亭仁智という時代であろう。髪型が似ているせいだけでなく、なんとなく落語界隈のスティーヴ・ジョブズに思えてきた。上方落語を「re-invent」した感がある。漏れ伝わるところだと、2015年の「文化庁芸術祭」大衆芸能部門優秀賞を受賞したそうだ。
 横浜にぎわい座で「上方落語会〜ザ・大阪〜」。この落語会は早くから行く予定にしていたのだが、直前まで仕事を休めるかどうか微妙だったのを、なんとか駆けつけることができてよかった。当日券でも、関東ではまだ大丈夫だろうと予想していたけれど、意外にわずかしか空いていなかった。
 笑福亭仁智がトリだけれど、独演会というわけではなく、しかも顔ぶれを見ると、前座の桂慶次郎は桂米團治の弟子、桂雀五郎は桂雀三郎の弟子で、このふたりは米朝事務所、桂坊枝は先代の桂文枝の弟子で笑福亭仁智とこの人はよしもと、林家卯三郎は紋がぬの字うさぎ、林家染丸の弟子。林家染丸はよしもとだけど、この人自身はどうなのかわからない。どうもにぎわい座の方で人選しているらしく思えた。大阪ではかえってめずらしい組み合わせに思えた。
 それでちょっと話はそれるのだけれど、個人的に懐かしかったのは桂坊枝で、このひとはああ見えてなかなか短気らしく、結婚する時も死ぬの死なんのの大もめだったそうだし、やしきたかじんに気に入られてよくテレビにも出ていたのだが、番組中にブチ切れて、たぶんあのまま、やしきたかじんとは疎遠になったと思う。関係者じゃないから知らないけど。単に性格が短気というだけみたい。見てて「そこでキレル?」と思ったもん。直情径行型なんでしょうな。
 そのころ、落語は聴いたことなかったんだけれど、よく通る声で、喋りは聞きやすくきれいな大阪弁だった。今回は「天王寺詣り」。見事なもんだったと思う、私が言うのはおこがましいけど、最近、滑舌の悪い噺家に慣れすぎてたので、語り口のきちんとしている気持ちよさを忘れかけていた。坊枝だけでなく、今回はみんな流れるような語りで気持ちよかった。「天王寺詣り」は「うちの師匠が得意にしてた」と言ってたんだが、この人の師匠が先代の桂文枝と、こちらの人はあんまり知らないだろうと思うが、米朝松鶴もそうだったが、先代の桂文枝も弟子の多い人だった。
 昔に思いが飛んでしまうのは、桂坊枝、歳とったわぁ。昔は顔だけ子どもみたいだったのに。俺も年取るはずやわ。
 まあしかし、それはそれとして、笑福亭仁智の噺だけれど、あの横浜にぎわい座の観客席にどれくらい笑福亭仁智を知っている人がいたのか知らないが、“爆笑”ですよ。うまく伝えられないけれど、笑いの質が、米朝吉朝とちがう。やっぱり、初代春団治、仁鶴のめざしていた方向を受け継いでいるように思えてしまう。
 中とりの坊枝も上出来だったし、雀五郎も「時うどん」という誰もが知ってるネタにもかかわらず、きちんと笑いを取っていた。
 でも、笑福亭仁智の笑いは、それとは違う体験みたい。亡くなった枝雀は「あんなの落語じゃない」とか陰口を叩かれることもあったが、そういうこととも違う。笑福亭仁智の場合は、「落語じゃない」どころか、「落語にしかならない」「落語にでもせなしゃあない」という笑いで、まちがっても映画化されたりはしないわけである。
 今回の「多事争論」というネタも、むりやり古典落語を引き合いに出そうとすれば「天狗裁き」に似てなくもない。聴いた人には「どこがやねん」と言われそうだが、ちょっと似てる。「天狗裁き」も上方落語屈指のシュールなネタだが、今度の仁智を聴いて思ったのは、たぶん「天狗裁き」が初演された当時、いつか知らないが、そのころは大爆笑のネタだったんだろう。それが今に残った結果、シュールに思えるんじゃないだろうか。「天狗裁き」は「業の肯定」とか何も関係ないもん。
 噺で人を笑わせることのできる人がいて、人は笑おうと思ってその話を聴きに行った。考えてみれば奇妙な話だが、でも、それが落語だよなあと、笑福亭仁智を聴いていてそう思った。人を笑わせるってすごい技です。
 笑福亭仁智の独演会は、5月25日、深川江戸資料館であるそうです。水曜日だから、ちょっときびしいかなぁ。