ノーマン・ロックウエル

knockeye2010-07-06

まだ、日曜の続き。
北斎の帰りに府中市立美術館に立ち寄り、ノーマン・ロックウエル展を観た。
「ハーツ・アンド・マインズ」と「ウインター・ソルジャー」を観たあとでは、ひどくグロテスクに見えてしまう。
「ありもしない光景を想像で描いた」
という批判があったそうだが、たしかにそういうことをいいたくなる。
つまり‘ベタ’なんやね。
だが、
<アメリカの宿題>
という絵は、おそらく、スタインベックが『チャーリーとの旅』で遭遇したニュー・オリンズでの事件を扱っているものだ。
原題は
<The Problem We All Live With>
絵の好みは別にして、こういう事件に即座に反応する勇気には注目すべきだと思う。
‘We’という、その意識がナショナリズムのそれとは真逆。
そういう‘We’という意識が日本人に欠けているのは情けないと思う。
フランクリン・ルーズベルトが宣言した「四つの自由」のうちの、
言論の自由
<信仰の自由>
<生活の自由>
こういうことをモチーフに絵が描けるのは、ノーマン・ロックウェル以外にいないかもしれない。
特に、<言論の自由>と<信仰の自由>は、そういうテーマを絵画として成立させている緊張感で、名画と言っていいと思う。
政治的なテーマだから、プロパガンダだと斥けてしまうのは、藤田嗣治戦争犯罪者のレッテルを貼って安心してしまう心理と同じだと思う。
ただ、明るく健康的なノーマン・ロックウェルの絵が、ひどくグロテスクに見えてしまうのは、状況というより、やはりそれこそ絵のもっている力なんだろう。
100年後のアメリカ人は、この絵の前で涙するかもしれない。