- 作者: 田中優子
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携帯も、読みかけの文庫も、間違って洗濯機に入れたみたいな感じになってしまった。本人が洗濯機の中を歩いている感じだったから仕方がないけど。
最近、仕事に追われていて、読んでいる本について書いていなかったが、田中優子の『春画のからくり』と『江戸百夢』を読み終わった。
どちらも、図版満載の本で、それはよかったのだが、とくに『春画のからくり』は、電車の中で読んでいると、隣に座ったおばさんが席を立っていったりした。
悪いけど、江戸時代の春画にまでそんな反応を示すか?
こういう人たちは、バロックとかルネッサンスの裸婦なんかには、どういう反応を示すのだろうと、逆に興味深く感じた。
ただ、それ以来、おおっぴらに読むのは控え気味にしたのは確かだ。
田中優子によると、江戸時代、春画が誘ったものは、欲情よりもむしろ笑いだったそうだ。特に、初期の頃は。
それはひとつには、日本の住居に密室性がなかったため、性行為自体が、そんなに完全に隠されてはいなかったということもあるらしい。
それから、初期の頃は、単にマスターベーションのために供するには、春画がハイコストだったということもある。春画は遊びとしてもっと高尚で洗練されている必然性にめぐまれていた。
その洗練の頂点に立つのは、田中優子によれば、喜多川歌麿だろうとのこと。そして、喜多川歌麿はたしかに鈴木春信を意識していた。
鈴木春信と喜多川歌麿の衣襞のついての考察は、図像を目の前にして、なるほどと思った。
そういわれて、すぐに歌麿の画集『歌満くら』と歌川国貞の画集を買ってみた。時代が下った国貞のほうは、確かに私も人前でページを開く勇気はない。
エロティックとは何かという議論もあるだろうが、セックスを絵にするということを本質的に突き詰めているのは、歌麿の方だろう。国貞になると、絵と性行為が近づきすぎていると思う。
『江戸百夢』には、『春画のからくり』に言及されていた、ベルニーニの『聖テレサの法悦』の写真も掲載されている。
聖テレサは、ある夜、天使が舞い降りて金の矢で、心臓から内蔵までを貫いてそして、その矢を引き抜くときに、内蔵ごと持っていかれるような激しい痛みと法悦におそわれた。
宗教の力が強大で、性が抑圧されている時代に、こういった表現が、今と違っていかに切実であったか。それは、まぎれもなく法悦であったはずだ。
歌川広重の<名所江戸百景>のうち、「浅草田圃酉の町詣」について書いた文章もすばらしい。
私、この絵の絵はがきを、太田記念美術館で買ってもっているのだけれど、江戸の知識がないせいで、ここまで深くは鑑賞できていなかった。
ほかにも、曽我蕭白、伊藤若冲、高井鴻山、などなど絵を好きな人にも楽しめる本だと思う。