アルブレヒト・デューラー

 8日に、アルブレヒト・デューラー版画・素描展を観てきた。
 デューラーは、1471年に生まれて、1528年に没している。宗教改革の始まりとされる、ルターの95ヶ条の論題が1517年なので、この人の生涯は、宗教改革の時代に重なっている。
 宗教改革を可能にしたのは、グーテンベルグの印刷技術だったといわれている。つまり、マスメディアとしての本が誕生した時代だった。
 <黙示録>、<大受難伝>、<聖母伝>は、デューラーの「三大書物」といわれているそうだ。これらの版画作品は、本というメディアにアウトプットされることが前提とされていたわけである。
 49枚の木版画をつなぎ合わせて、壁一面をも埋める<神聖ローマ皇帝マクシミリアン一世の凱旋門>を目にすると、本という最先端のメディアが、どれほど衝撃だったかよくわかる。
 マクシミリアン一世にとっては、荘厳な油絵で宮殿の壁や天井を飾ることより、巨大な版画を、印刷本として、ヨーロッパの隅々まで流布させることが、皇帝の権威だと感じられた。
 奇しくも、今年は、電子書籍元年と呼ばれているらしいが、マスメディアの主役が交代することで、全ヨーロッパを覆っていた宗教さえ揺らぐ。それは、今でも起こりうることなんだろう。
 どうも日本人は、すべてのことについて、どうせ変わらないと、多寡をくくりすぎていないだろうか。
 
 この絵は、<岐路に立つヘラクレス>。
 今にも、棍棒をふり下ろそうとしている女性が美徳を、今にも殴られそうな女性が快楽を表しているそうなのだが、私にはSMにしか見えない。
 モノクロームの画面の方が、色のついたものより、ずっとエロチックに見えるのは、とても不思議。
 常設展に、ジョルジュ・ブラックの<静物>が新蔵品として加わっていた。2011年という今、ジョルジュ・ブラックのちいさな静物画を新しく収蔵するのは、とりあえず偉いと思った。