天罰について

 この週末は、いとこの結婚式のために、両親がこちらに来ているので、一緒に食事をした。
 私はその結婚式には出ない。いつのころからかそういうことになっている。英語に今の私のような役割を表現するぴったりの言葉がある。
‘a skeleton in the family closet’
と、まぁ、自嘲していられる程度の存在ではあるか。
 以上は、個人的な天罰の話だったが、今日ここで、例によってとりとめもなく、うだうだ考えてみたいのは、石原慎太郎東京都知事の天罰発言。
 あれは世にもバカげた発言だった、ということには、異論がある人は少ないだろう。
 東日本大震災が天罰だったということになると、犠牲になった二万五千人もの人たちに、あのような悲惨な死に値する、罪があったということになる。
 石原慎太郎は、亡くなった人たちの、何をさしてそれを言っているのか。犠牲者のうちのたった1人をとってさえ、見知らぬ都知事に、そんなことをいわれる筋合いがあるはずもない。それを言われた家族の立場に立てば、それがどれほどひどい発言だったか理解できるはずだ。
 しかし、ここでは、その発言自体についての糾弾は、東京都民の選択にゆだねておくことにして、天罰という発想そのものについてすこし考えてみたい。
 ずっと以前に、村上春樹が海外で盗難に遭った話を書いた。
 ヨーロッパを転々と旅する途中のことで、いろんな国の人にその話をしたそうだが、あるとき、日本人に同じ話をすると
「それは、盗まれたあなたが悪い」
といわれて、唖然としたそうだ。日本人ならいかにも言いそう。だが、日本人でなければまず言わない。
 ほかにも例はいくらでも挙げられるが、日本人の、被害者に対する態度の過酷さは、一歩退いて客観的にみると、まったく異常なほどだ。
 実は、関東大震災のときには、内村鑑三が、今回の天罰発言に等しい発言をしたと言うし、歴史を遡っていけば、たとえば、元寇のときの日蓮の発想は、今回の石原発言と比べて、どれほどちがうんだろう。
 また源氏物語では、須磨に流された光源氏が、船で嵐にあうとき、「私はどんな罪を犯したのか」と嘆く。
 こうした日本人の心理について、阿部謹也は『世間とは何か』で、「くがたち」という古代からの風習に、そのルーツを求めていた。
 日本人にとっては、死も病も災いも、すべてケガレで、逆にいえば、ケガレているから、災いを招くとされた。
 その発想を推し進めていくと、なにか罪が犯された、社会正義がこぼたれたとき、その罪人や責任者には、災厄がふりかかるはずなので、複数の容疑者のなかから真犯人を割り出すには、彼らの中で災厄が降りかかったものを見つけ出せばよいことになる。これが「くがたち」で、熱湯に手をつけさせたり、濡れた衣服を着せたりして判定した。
 こういう習慣がいつまで続いていたかというと、遅くとも鎌倉幕府の法令には、まだその名残があり、それがいつ廃れたのかといえば、発想とか心象という意味で言えば、未だに廃れていないといえるのかもしれない。
 その鎌倉幕府の法整備に関わったのは、慈円だといわれていて、一方で法然上人の流罪を画策したのも、また慈円だったのではないかと、梅原猛はほのめかしていた。
 つまり、法然上人や親鸞聖人が、民衆にまで仏教の救いを弘めようとしたという意味は、貧富貴賤の対立ではなくて、もっと本質的な差別の問題だったといえるのではないかと思っている。
 法然上人の新しさは、それまで、日本人が、理解を超えた災厄への懼れから、迷信的に抱いてきた人間観を根底的に覆したことにあったと思う。
 阿弥陀仏の救いのもとでは人は平等だ、などという思想は、古い秩序にいる人たちを身震いさせたことは、今の私たちにも想像できることではないだろうか。
 そして、その思想は、今でも、当時とまったく変わらずに新しいのだと思う。ことしは、法然上人の800回忌だが、800年という時間は、私たちが古代の迷信から抜け出すには、おそらく短すぎるだろう。