‘菅直人おろし’の背景

 福島原発の事故をうけて、ドイツはふたたび‘脱原発’にむけて舵を切った。
 現に事故の被害を蒙っている日本が、送電発電分離の議論でもたもたしているのに、かの国では、世論が正確に政治に反映する。うらやましいというべきなのか、たぶんそうではなくて、私たちの国が異常なのだろう。
 震災のネタにも飽きたとでもいうつもりなのか、マスコミも政治家連中も、菅直人つぶしの気運を醸し出そうとしている。
 このかげに、どうも、‘原子力ムラ’の意図が隠されているように、私には見える。
 今、野党が辞職勧告決議案を提出する、当面の足がかりとしている(あるいは‘するつもり’だった)のは、例の、‘幻の’海水注入中断が‘官邸の指示だった’という、二重三重に意味不明の報道だが、周知の通り、現場の所長の判断で、この中断は実施されなかったことがすでに明らかになっている。
 今の時点からふりかえれば、事実は、‘続行されるべき注水が続行された’ということにすぎない。
 つまり、‘海水注入の中断’は、じつは、報道の中にしか存在していない。
 はい、ここ重要。↑
 そこで、ふりかえって、この報道の第一報を見ると、

 東京電力は21日の記者会見で、東日本大震災の発生翌日の3月12日に福島第1原子力発電所1号機で進めていた海水の注入を、首相官邸の意向をくんで一時中断したことを明らかにした。官邸側が海水注入による再臨界の危険性を指摘しているとの情報を東電側が聞き、止めたという。細野豪志首相補佐官は記者会見で「官邸は注入の事実を把握しておらず、首相は注入を止めることは指示していない」と述べた。

 これが、5月21日の日経ウェブの記事。
 すべては、東京電力の発表であり、細野豪志は、この時点から‘首相の指示’をきっぱりと否定している。しかも、よく見ると、東電の発表も‘意向を汲んで’とあり、‘指示で’とはいっていない。
 さらに、一連の報道を時系列に沿って追っていくと、斑目委員長のどちらともつかない‘言った言わない’の水掛け論が続いたあと、5月24日、

 細野豪志首相補佐官が21日に福島第1原発1号機への海水注入の中断の経緯を発表する直前、原子力安全委員会事務局の加藤重治内閣府審議官が異議を唱えていたことが分かった。23日の原子力安全委の班目春樹委員長の記者会見に同席した加藤氏自身が明らかにした。

 加藤氏が会見用の資料をみて「『班目委員長から再臨界の危険性があるという意見が出された』とあるが、違うのではないか」と指摘。細野氏は「その場に居合わせた多くの人に確認した結果だ」と返答し、訂正はしなかったという。

という報道がある。
 このあたりで、すこし‘しっぽ’が見えていると私は思う。
 加藤重治内閣府審議官という官僚が、どういうわけで、首相補佐官の頭越しに、所詮は水掛け論のコップ一杯分にしかならない、こんな記者会見を開くのか。官僚のあり方を完全に逸脱している。
 つまり、官僚と東電は、原子炉への海水注入を、一時間ちかく中断させて、その責任を官邸に押しつけようというシナリオを描いていたのだろう。
 そのシナリオが、現場の所長の反乱で、崩れてしまったのである。
 おぞましいのは、官僚と東電は、自分たちの立場を守るためなら、原発事故がさらに拡大する危険さえ、平気で侵すということだ。
 東京電力の上層部からの指示を無視して、海水注入を続行した吉田昌郎所長と、どちらが社会に対する責任感があるといえるのか、それはいうまでもないはずである。
 海水注入のそもそもの情報リークが、安倍晋三を通してなされたということから考えると、どうやら、こんどの、菅直人に対する辞職勧告決議案は、官僚、東京電力自民党が、三者三様の権益確保のために仕組んだ、連係プレーと見て間違いなさそうだ。
(なさけないことに、小沢一郎も一枚かんでるか・・・)
 ここまで書いてきたことは、どうやら、とっくにみんなに見透かされているみたいね。
 それで、あらためて、冒頭に書いた、ドイツの政治と比べると、この国がいかに官僚主義に毒されているかよくわかります。
 官僚が民意に抵抗する頑迷さがはなはだしい。ドイツで一年かからない決定に、日本では十年も二十年もかかるのも当然だ。
 ‘失われた十年’とか二十年とかいうけど、その失った分を食い尽くしたのは、要するにこいつらだろ。ちがう?