死刑宣告 part2

knockeye2012-01-08

 今朝の新聞に、‘消費税増税反対は一貫性を欠く’という同志社大学教授の記事があった。御用学者の層は厚い。‘御用学派’ともいうべき派閥があるのかも。
 反論するまでもないが、週刊SPA!にあった植草一秀の記事を引用して反論に代える。

 「平成19年度のお金の使い方でわかったことがあります。2万5000人の国家公務員OBが4500の法人に天下りをし、その4500の法人に12兆1000億円の血税が流れていることがわかりました。
 これだけの税金に、ひと言で言えば、シロアリが群がっている構図があるんです。そのシロアリを退治して、働きアリの政治を実現しなければならないのです」
 これは'09年7月14日の衆院本会議で、野田佳彦氏が麻生太郎内閣不信任決議案への賛成討論でのべた言葉だ。
 '09年8月の総選挙で大勝し、政権交代を実現させた鳩山由紀夫民主党は、'13年の衆議院任期満了まで消費税増税を封印することを政権公約に掲げていた。
 「増税の前にやるべきことがある」のがその理由だった。増税に進む前に、政府支出の無駄を排除することを政権公約に盛り込んだのである。
 その無駄の排除として、天下り根絶、公務員給与引き下げ、議員定数削減が掲げられた。ところが、現在、消費税増税を推進している野田佳彦首相は天下り根絶を全く口にしなくなった。
 政権が実質的に財務相にコントロールされていることの表れだ。

 また、大前研一のブログは‘税制改革〜脳が無い「ただの増税」を止め抜本的な改革を'と題してこう書いている。

政府税制調査会の作業部会は20日、所得税最高税率を現行の40%から45%に引き上げる検討に入りました。
民主党税調と調整し、社会保障と税の一体改革「素案」に盛り込むことを目指すとのことです。

日本の限界税率である40%は米国の35%に比べても高い数値ですし、地方税を含めて実質的に50%と見ると世界のトップクラスの税率の高さだと言えるでしょう。スウェーデン(約56%)、デンマーク(約55%)に続く数値です。

しかし、スウェーデンデンマークが国のサービスが充実していて全面的に国が面倒を見てくれるのに対して、日本は大して国のサービスも良くないのに、限界税率が高すぎると言わざるを得ません。
 (略)
今回の八ッ場ダム建設再開を受けて、民主党の前原政調会長の政治生命、同時に民主党の政治生命もほぼ終わったと私は見ています。

 以下は、2009年の夏、政権交代選挙の日にこのブログに書いた記事。当時は、段落ごとにインデントする習慣がなかったので、それだけ直して、あとは、そのままコピペしておく。  

 ちゃんと8:00PMすぎるまで政治的な書き込みを控えたりするところが,われながらいじましい。 自民党に死刑を宣告するつもりで朝早く投票に行ったが、若い人の姿もけっこう多く、たぶん気分は共有しているという空気。それは思い過ごしではなかったようで、9:00PMごろのテレビでは、もう気の早い結果がすでに報じられ始めている。自民党には本当に死刑宣告が下ったようだ。

 麻生太郎はこれで歴史に名を残すことになった。どちらかというと汚名だが、満足か?

 渡辺喜美が神奈川に応援演説に来たとき、麻生太郎は「時計の針を巻き戻した」といったそうである。この言葉が私にはとても印象的。なぜなら、麻生太郎にとってと国民にとっては、その時計を巻き戻した昔が、大きく違うだろうと思うから。 麻生太郎やそのとりまき連中、また、官僚や族議員たちにとっての時計を巻き戻した昔は、蜜と乳の流れる楽園。ちなみに、森永卓郎にとっても、小泉改革以前の日本は年収300万円で幸せな夢の国だったらしい。

 しかし、現実世界に生きているまともな大人たちは、バブルがはじけてから小泉改革までのいわゆる失われた十年に塗炭の苦しみを味わってきたことを忘れてはいない。そして、戦後(あるいはもっと前から)営々と続いてきた高度経済成長期のシステムがすでに現実と齟齬を来たしており、新しいシステムに変わっていかなければ、暮らしが立ち行かないと身にしみて感じていた。

 郵政選挙で国民が示した民意とはつまりそのことなのである。

 その国民の強い危機感を、旧態依然たる自民党世襲議員族議員、そして官僚たちは共有していなかった。小泉純一郎竹中平蔵が痛みを伴いながらも不良債権を処理した後は、また元通りのやり方で私腹を肥やしていけると考えていたのだろう。だからこそ、小泉改革以前にまで平気な顔で時計の針を巻き戻せたのだ。 だが、残念ながらそこにはもう死者しかいない。死屍累々たる黄泉の国。土建屋政治のバラマキ政策を踏襲するつもりがそこには腐臭しか残っていなかった。

 いわゆる1940年体制に訣別し、まだない新しいシステムを築かなければならないときにこそ、必要なのは政党政治であるはずだった。

 各政党が理念と政策をかかげて切磋琢磨する中から新しい国のかたちを見つけていくしかなかったはずである。 そして、小泉純一郎がかかげた骨太の方針はひとつの選択肢として整合性を持っていたし、それで選挙に圧勝したわけだから、現に推進力もあった。

 それを麻生太郎政党政治が存在していなかった昔にまで時計を巻き戻した。政党としては自殺行為だったし、国民にとっては歴然たる背信行為だった。

 残念なのは今回の選挙が、骨太の方針で行くべきなのか、それとも民主党が呈示する別の行き方がよいのかという建設的な選択にならなかったことだ。

 というのも、麻生太郎骨太の方針をすべて骨抜きにしてしまったために、国民はその成果を評価しようがなくなってしまった。

 今回の選挙も、前回の郵政選挙と同じ、麻生太郎の属する古い自民党体質の是非を問う選挙になってしまった。

 この前も書いたけれど、だから、今回の選挙の結果はやる前から決まっていた。何回同じことを国民に問うつもりだろうか?

 もう官僚政治が通用する時代ではない。

 もし、今度民主党が、以前の細川内閣のように、また官僚に政策を丸投げするような事態になったら、こんどは民主党に死刑判決が下るだろう。せっかく大勝したのだから、徹底的な構造改革を実現してほしい。