「改革」はどこへ行った?

 忘れもしない2005年八月七日の夜でした。あの日、参議院郵政民営化関連法案が否決されて、その日の午後、三時間にわたる非常に長い臨時閣議をやり、衆議院の解散・総選挙を実行することを決めたのですが、その閣議で反対した島村宜伸農水大臣が罷免されました。その後、私は大臣室でテレビを見ていたのですが、小泉さんは原稿なしで、ものすごいスピーチをしました。あれは神がかっていました。あの一瞬で、民意はわっと小泉さんに流れました。
 その日の翌日、私は小泉総理の部屋に行ったのです。その目的は、郵政民営化担当大臣でしたから、力至らず法案を通すことができなくて、申し訳ありませんでしたと、お詫びするためでした。そうしたら部屋に入った途端に、小泉さんはぱっと走り寄ってきて、わたしの手を握って、「竹中さん、本当によくやってくれた。竹中さんがいなければここまで来れなかった。これは選挙だから、やってみなきゃわからない。でも、自分はこれでいいと思っている。これが政治だと思っている」と慰めてくれたのです。

小泉純一郎が改革にかけた情熱が伝わってくる。
こういう裏話を聞いてみると、前回の選挙に際して、麻生太郎が行った‘猿まね演説’のお粗末さが際立ってくる。上の文章に書かれている小泉純一郎の演説の、背景からネクタイの色まで、そっくり真似して演説をぶった麻生太郎だが、メディアからは失笑を買い、国民の怒りを増幅させたことは憶えておいでの方も多いだろう。
まぁ、麻生太郎のことはもうどうでもいい。
それよりも、麻生太郎を持ち上げたり、鳩山邦夫を正義の味方(不正義の敵だったっけけ?)に祭り上げたりする意見が一応目につく程度にでも存在するということの方に、私はショックを受けた。彼らが単なる官僚の傀儡であることは誰の目にも明らかであったはずである。
そして、その後の選挙の結果を見れば、世論が麻生や鳩山邦夫の側になかったこともまた明らかだが、にもかかわらず、マスコミが鳩山邦夫を持ち上げ続けた背景には、官僚の意向が強く働いていたことを容易に想像させる。
政権交代の選挙前、おそらく時間が許しさえすれば、安倍や福田にそうしたように、麻生の首を飛ばして、鳩山邦夫の首と挿げ替えたかった官僚の思惑が見て取れた。‘正義の味方’鳩山邦夫自民党総裁になっていたら選挙結果がどうなっていたか見たかった気もする。後の世の笑い種にはなっただろう。
最近の小沢一郎周辺のことを報ずるマスコミの内容をみていると、そのほとんどが官僚のリークに露骨に頼りきっていることが明らかになってきたと思う。先々週のサンデープロジェクトで暴露されたように、官僚のリーク記事がほぼノーチェックで新聞の一面を飾っているのが現状なのである。
小泉構造改革は、この官僚とマスコミの情報操作の前に敗れ去ったと見るべきなのだろう。そして、その報道に疑いを挟まず付き従っていく、飼いならされた羊のような国民の意識にも。
何度も書いているように、私は‘格差社会’なんてお題目は全く信じていない。目を世界に転じてみるとき、わたしたちの国は一握りの恵まれた国であることが分かるはずである。しかも、わたしたちの国は70年代からずっと富を蓄え続けてきた。その富を私たちはどうしてしまったのか?
必要のない道路、必要のない空港、必要のないかんぽの宿、そして、それに巣食う官僚のファミリー企業、天下りの退職金に費やされてきたのではないのか。だからこそ、改革が必要だったのである。
最近、よく目にするようになってきた
マニフェストにこだわることはない」
という論調には私は疑義を呈したい。
民主党の人たちに問うけれども、あなたたちはどういうつもりであの公約をマニフェストに掲げて選挙を戦ったのか。
小泉純一郎は、公約を守りぬくことで300近い議席を獲得したが、あなたたちは300を越える議席を預かっていながら、公約を実現するために汗のひとつもかけないというのか。
高速道路の無料化、ガソリン税暫定税率廃止、子ども手当て創設、最低賃金1000円、どれも、パラダイムシフトのきっかけとなるよい政策だと思う。だからこそ国民の支持をあつめたのだ。
それをなんで渋滞程度のことを畏れて公約を破棄しようとしているのか?渋滞と国民との約束とどちらが大事なのか。
もちろん、どの政策も実現が大変なのは当然のことだ。だがそのために汗を流すことこそ国会議員の仕事であるはずだ。「マニフェストにこだわることはない」という論調は官僚の世論誘導であると思うべきである。なぜなら公約を守ることこそ最大の政治主導であり、選挙が力を持つことこそ官僚がもっとも恐れているはずだからである。