「きっとここが帰る場所」、「ラムダイアリー」

knockeye2012-07-01

 渋谷へ向かう電車の中で、アントニオ・タブッキの『インド夜想曲』を読み終えた。
 わりあいと短いものなので、須賀敦子の訳者あとがきを読み終えてもまだ余裕があった。

・・・このような言語能力にめぐまれた作家は、ある意味で複数の<人格>をもつこともあり得るということを、これらの作品は物語っているかに見える・・・

これは、須賀敦子自身についても言えることかというと、どうもそれは違う気がする。須賀敦子の場合は、日本語、イタリア語、フランス語、英語と多国語を自在に操ることで、むしろ、それらの文化を相対化しているように思う。そのことで、日本という雑種の文化の個性を鮮明にしている。
 だからといって、渋谷のスペイン坂をのぼりきったシネマライズという映画館で、ショーン・ペン主演の「THIS MUST BE THE PLACE きっとここが帰る場所」が、イタリア人の監督作品だと知っていたわけではなかった。
 何でこの映画を観ようと思ったのかは、今考えると思い出せないのだが、虫の報せみたいなものじゃないとすれば、予告編のショーン・ペンのあのしゃべり方に魅了されてしまったのだろう。
 あれは、誰かのようで誰でもない、でも、確かに誰かな、一時期、てっぺんに登りつめた、ロックスターのきぬぎぬの姿、まさにそのものだった。

・・・つまり、偉大な俳優というものは、常に、登場人物について、監督や脚本家よりも、ずっと多くのことを理解している・・・

 ここに、監督のパオロ・ソレンティーノ、ショーン・ペン、それに音楽を担当しているデイヴィッド・バーンのインタビューがあるが、もうそれだけで観にいきたくなるくらい魅力的だ。
 ウンベルト・コンタレッロという人のシナリオが素晴らしいと思った。おかずがぎっしりつまっている。いろんなシーンの、いろんなキャラクターの、いろんなセリフを思い出し笑いしてしまう。
 この日は、イタリアの豊穣にやられた1日だった。

インド夜想曲 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

インド夜想曲 (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

映画『きっと ここが帰る場所』公式サイト
 物理的には、先日あげた映画3本を観ることも可能だったが、それだと、あごあし以外はずっと映画を観ている過密スケジュールになるので、それはやめて、そのあとは海老名で「ラムダイアリー」ということにした。
 この映画は、主演のジョニー・デップが敬愛する‘GONZO’ジャーナリスト、故ハンター・S・トンプソンの、半自伝的、半実話的、半まゆつば的な半でっち上げらしいが、しかし、プエルトリコの夏の匂いに充ちている。夏の匂いはいつも予感でいっぱいで、そんな予感だけがあればひと夏を過ごすに充分だと大人たちは知っている。
 だが、この‘GONZO’ジャーナリストは、この夏に‘VOICE’を発見する。‘find one's voice’で、「(作家などが)独自のスタイルを見つける」という意味だそうだ。ただ、それだけでは、人の一生には足りなかったのかも知れないけれど、すべての夏がそうであるように。