バーン・ジョーンズ、日本画モダン

knockeye2012-06-30

 明日は映画を観る予定なので、今日は美術展。
 まず、三菱1号館で「エドワード・バーン・ジョーンズ」。ラファエロ前派のなかでは、ジョン・エヴァレット・ミレイとこの人が双璧だと思うが、わたしが若い頃魅せられたのは、バーン・ジョーンズのリリシズムだった。没後、ベルギーのフェルナン・クノップフが追悼文を寄せたと、これは今回の展覧会で初めて知った。バーン・ジョーンズの展覧会じたいが本邦初だそうで、少し意外なような。
 しかし、ラファエロ前派のなかでダンテ・ガブリエル・ロセッティやジョン・エヴァレット・ミレイよりバーン・ジョーンズが好きな理由は、ぶっちゃけた話、描かれている女性が、断然きれいだから。吉木りさよりセクシーかな。現実の女性でバーン・ジョーンズの絵ほどにきれいな人、そうはいないだろう。
 みずから彫った美女の彫像に恋してしまう彫刻家ピグマリオンの物語は、バーン・ジョーンズの女性像だからこそ説得力がある。
 しかも、バーン・ジョーンズの女性美は、はつきりとイギリス女性の美しさで、ロートレックが描いたフランス女性のように、どこかはすっぱでおしゃまな感じではなく、オットー・ディックスのドイツ女性のように、破滅的でアンニュイなムードでもなく、騎士や魔女の出てくる物語によく似合う、はかなげで繊細な美しさだ。

 バーン・ジョーンズは晩年、将来わたしたちのような絵は忘れ去られてしまうだろうと語っていたと言うが、いまのところそんな気配はない。少なくとも今の日本では、むしろ、男性より女性に支持されるのではないかと思う。脚が長い、目が大きい、顔ちっさい、ウエストほっそーい、これらの女性たちは。不思議に無表情な(アパシーというのかな)感じも、今という時代に合っている気がする。
 それに、着ている服がさ、おしゃれだと思う。ゴスロリの次は、ラファエロ前派だな。
 せっかく近くまで来たので、出光美術館で「日本の美発見7 祭」。
 洛中洛外図屏風とか祇園祭礼図屏風とか、江戸名所図屏風、阿国歌舞伎図屏風、また邸内遊楽図屏風など、近世の風俗を描いた屏風が中心の展覧会。
 こういう風俗図は、このあいだ静嘉堂文庫美術館で観た<四条河原遊楽図屏風>とか、根津美術館での<犬追うもの図屏風>とかのように、全体よりも細部にこだわって観ていくと楽しい。
 今回展示されていた洛中洛外図だったか祇園祭礼図だったかは、右隻が京都の東側、左隻が西側、右隻が右から左に、左隻が左から右に、南から北へと描きあげていた。ということは、この屏風は向かい合わせに立て回して、その間に人が座るかたちで鑑賞されていたのではないかと思う。今で言うとライヴヴューの大型スクリーンみたいな感覚だったのではないだろうか。
 行灯や蝋燭の灯りに金屏風が映えたことだろう。漆の膳の上にどんな器が載っていたのか、また、そこにどんな酒や肴が盛られていたのか、と考えると、これらの屏風自体が近世の風俗の一部であることがわかる。
 ゆっくり時間を掛けてみられればよかったのだけれど、今回、うっかり夏向きの恰好で出掛けてしまったので、ちょっと寒くなってきて早めに退散してしまった。
 陶片室に井戸や熊川の茶碗があり、窓からの自然光で、しかも、けっこう至近で見られて、これは嬉しかった。出光美術館にもお茶室があるのだけれど、結界が遠すぎてほとんど何も見えない。あれはちょっと工夫のしようがあるんじゃないかなと思う。
 まだ時間があるので、恵比寿の山種美術館で「福田平八郎と日本画モダン」。

 図録の表紙にも使われているこの筍の絵をはじめ、福田平八郎だけでなく、日本画モダンと紹介されている、昭和初年代のころの日本画家たち、小林古径、加山又三、奥村土牛など、私はけっこう好きだということに気がついた。
 橋本明治や、今回は展示がなかったけれど小倉遊亀も、かなり好きだ。
 それで逆に、‘けっこう好き’が‘かなり好き’にならないのはどうしてなんたろうと考えながら観ることになったが、つらつらおもんみるに、それはどうやら、日本画という枠の問題じゃないかと思う。ひとつひとつの絵はよいのだけれど、日本画という枠が、結局アカデミズムとして現実から乖離している感じが私にはある。
 たとえば、中村岳稜の<緑影>は、画題、構図、技術などの面では、日本画という枠の中で、やれるぎりぎりまでやっているのではないか。しかし、その枠を超えていけないもどかしさもまた感じさせる。東京国立博物館所蔵となっているから、その絵は、画家の手を離れるや、アカデミズムの蔵の中で眠りに就いている。江戸時代の屏風絵や襖絵、掛け軸、あるいは浮世絵が、その絵がある暮らしを想像させてくれるのとは対称的だ。<緑影>の制作された昭和十七年は太平洋戦争の始まった年。日本画はこれより先には行く先がなかったのではないかという奇妙な感慨にふけった。もちろん実際にはそれ以後もよい日本画は生まれ続けているけれども。

 上の写真はなにかというと山種美術館の帰りみち、恵比寿で買った箸置き。
 この日はたまたま太田記念浮世絵美術館で、国芳一門の猫づくしが展示替えの初日だと気がついて覗いてみることにした。
 後期は、国芳周辺だけでなく、鈴木春信や磯田湖龍斎、広重の、暮れゆく吉原を眺める猫もあった。かわいい猫踊りの絵も国芳以外のものもいっぱいあった。あの、後ろ肢でたって踊る猫は誰が最初に始めたのだろうか。私は国芳のオリジナルだと思っていたのだけれど。国芳のが圧倒的に可愛いし。
 しかし、これだけ猫の浮世絵があふれているかぎりは、江戸っ子が猫好きだったことを示しているだろう。これだけ売れたということだから。