「ブラック・スキャンダル」「キャロル」「残穢」

knockeye2016-02-23

 「ブラック・スキャンダル」は、ジョニー・デップを観に行く映画だという意見には賛成です。「パイレーツ・オブ・カリビアン」のジャック・スパローを造形できる役者であれば、実在の人物もまた造形できる。しかし、どういうわけでアメリカの観客はジョニー・デップに、カリブの海賊ではなく、サウスボストンのアイリッシュマフィアを演じて欲しかったのか。光のさす方ではなく、陰のある方を観たいのかというあたりがね。
 聞くところによると、「スターウォーズ フォースの覚醒」は、中国で受けなかったそうで、世界的な興行収入は思ったより伸びなかったそうだ。中国人は、つまり、ハン・ソロも、レイア姫も、ルーク・スカイウォーカーも懐かしくないわけだ。あの映画はたしかに良かったわけだけれど、その良さの大きな要素は懐かしさだったと認めざるえない。アメリカ人は前向きでいることに疲れたのかもしれない。内向きに、後ろ向きに、なんなら100年くらい時計を巻き戻しても、アメリカはまだ幸せでいられる、と、そう思っていても不思議ではない気がする。少なくとも、この先の100年のことを考えるとため息のひとつもつきたくなるのだろう。
 「キャロル」も観た。ルーニー・マーラは、「サイド・エフェクト」に続いて、またもレズなんだけど、どこかオネエサマの心を惹くところがあるのだろうか。「ドラゴンタトゥーの女」が衝撃的だったのはホントだけれど、「ソーシャル・ネットワーク」のさりげない脇役も良かったと思う。
 パトリシア・ハイスミスが名前を変えて出版した小説が原作だそうだ。小林信彦が「パトリシア・ハイスミスはレズだろう」と言っていたのは根拠のないことでもなかったんだなぁ。
 今はどうなのか知らないけれど、少し前は、日本はレズビアン社会と言われていた。個人的な感覚としても、女の子同士が手をつないで歩いていてもべつに何とも思わないけれど、男同士がそうしてたら「え?」って思うかも。これがイスラム社会だと逆だって聞いたことがある。
 昔、松本人志島田紳助が話していたけど、自分のカノジョがレズ経験があっても、特に嫌だと思わない、島田紳助は「むしろオプションで付けて欲しい」と言っていた。テレビの前で私も深くうなづいていたんだけれど、でも、これ、逆だとどうなんでしょうな。
 週刊現代井筒和幸が書いていたことによると、時代を出すために16mmフィルムで撮っているそう。その意味でも、ショーン・ペンの「ミルク」みたいに政治的なメッセージは感じない。古き良きアメリカの恋愛を、男女のそれで撮るとさすがに照れくさいから、レズっていう変化をつけてみました、くらいの感じ。むしろ、同性愛っていうスキャンダラスな衣装を着せているけれど、実は、王道の恋愛映画っていう、そのギャップにしてやられる。
 個人的には、パトリシア・ハイスミス原作の映画なら「ギリシャに消えた嘘」の方が好きですし、小説なら「変身の恐怖」を吉田健一訳で読んでみて欲しいものです。
 竹内結子の「残穢」も観た。
 これは、中村義洋監督っていうんで、「へー」と思って。中村義洋監督では、私は「ジャージの二人」がすっごい好きで、竹内結子とのコンビっていうことになると、「ジェネラル・ルージュの凱旋」とか「チームバチスタの栄光」も「ゴールデンスランバー」よかったんだけど、「残穢」は、正直言って、あんま怖くなかった。
 なぜかというと、分かりすぎる。「なぜ」っていう部分が解明されすぎ。「イット・フォローズ」みたいに、「なんでこうなるの」が、わからない方が怖いと思います。謎が解ける場合は「クリムゾン・ピーク」みたいに、徹底的に映像美に凝るとか。
 それでなんかわかったのは、中村義洋監督は小説を映画に移すのがすごいうまいんだけど、最近、原作のチョイスがおかしい気がする。「奇跡のリンゴ」は、観てないけど、無茶だった気がするし、「みなさん、さようなら」は、原作が、悪くはないけど、映像化されても膨らまないということはあったかも。「ポテチ」はよかったですけどね。あの感じ。上質のユーモアが持ち味なのかなと、僭越ながら推察いたします。
 でも、怖い人は怖かったのかな。なんか私の隣の席が、カップルだったんだけど、その男の方がさ、最初から最後までずっと、音立ててポップコーン食ってんの。まわりの空気として、ちょっと顰蹙系の空気が漂ってきてるんだけれど、ビビってるんでしょうな。で、ビビってるところを彼女に見せたくないんでしょう。その時点でもうばれてるんだけど、まわりの赤の他人が迷惑なんだけど。あいつのせいで怖くなかったのかもな。