パトリシア・ハイスミス、マルグリット・ユルスナール、トーベ・ヤンソンはレズビアン。
マルグリット・ユルスナールは、一般にそんなに有名でもないかもしれないが、トーベ・ヤンソンがレズビアンなのはずいぶん前から知っていた。
これに対してパトリシア・ハイスミスがレズだったのは、小林信彦さんの著書でも、たぶんレズだと「にらんでいる」みたいな書き方をされていて、ああそうなの、くらいの感じだった。
はっきりそうだと認知したのは『キャロル』が映画化された時で、その時も、クレア・モーガンてふ原作者はパトリシア・ハイスミスの偽名らしい、という程度の紹介だった。
パトリシア・ハイスミスは、映画ファンにとっては、『見知らぬ乗客』『太陽がいっぱい』の原作者として有名だが、『キャロル』の配給関係者はそれが『キャロル』の惹きにはならないと判断したのだろう。
パトリシア・ハイスミスは、それこそ小林信彦さんがエッセイに書く頃にはけっこうなブームで、私も何冊かは読んだ。
わたしが一番おすすめなのは、吉田健一が訳した『変身の恐怖』。タイトルの意味がいまだにわからないのだけれど、わたしはこれを一番最初に読んだので、彼女が、自分はミステリー作家ではないと言う意味がよくわかる。微妙な男女のすれ違う心理が表されていて読み応えがあった。
彼女がレズビアンだと知っているせいか、この映画の中でも「わたしは女が完全な人間ではない気がする」と発言している、その感じが分かる気がする。
『変身の恐怖』は、実際、彼女の最高傑作に挙げる人もいる。吉田健一が唯一訳出したハイスミス作品な訳だし。まあとにかくタイトルで損をしていると思われる。原題は“the tremor of forgery"。これでも意味はわからないが、「ニセモノに身震いする」というような意味じゃないかとも思うが、英語に関して吉田健一に何か言うのはバカげてるし。
ところが、彼女の顔ってのをこの映画で初めて見てきれいなのにびっくりした。なんとヌード写真まで。しかも、けっこう恋多き女だったらしく女性遍歴も、まだ彼女のパートナーだった女性たちが生きているせいもあって、証言が生々しい。
『TOVE』に描かれたトーベ・ヤンソンに比べるとかなり奔放な感じ。ふたりとも世界的な知名度の芸術家だが、ことセックスに関しては、パトリシア・ハイスミスは明らかに「タチ」のイメージ。恋というより女遊びと言いたくなる。堂々としたヌード写真が「だから何?」と言ってるようにさえ見える。
あくまでイメージだが、そうでないと「女は完全な存在な気がしない」という発言は出てこないだろう。近寄ると吸い込まれそうな危険な魅力のある人だったのではないか。花のように発散する魅力(それはどちらかというとトーベの方)ではなく、蛇のような惹きつける魅力が晩年の映像からも伝わってきた。