「鍵泥棒のメソッド」

knockeye2012-09-15

 「運命じゃない人」「アフタースクール」の内田けんじ監督最新作。
 「夢売るふたり」を観た直後だっただけに、自分の目が‘からく’なっているんじゃないかと心配したけれど、全くの杞憂だった。お見それしましたという感じ。いま日本の映画が面白いわ。「アベンジャーズ」あたりを「これが映画だ!」とか、ハリウッドはちょっと恥を知りなさいよ。「これがCGだ!」っていうならわかりますけど。
 西川美和と内田けんじに共通しているのは、脚本に対する執念だと思う。ハリウッドなら何人ものシナリオライターがやる作業を、このふたりはおそらく一人でやっている。
 芝山幹郎は「夢売るふたり」について「コンゲームと女の戦記を接着させる大胆な技に驚く」と書いているが、それが、松たか子が演じた里子の、あの魅力的なキャラクターと不可分であるという意味で、あれは里子の性格悲劇(喜劇かも)で、あの映画を「現代版源氏物語」といった糸井重里になぞらえば、里子は現代のマクベス夫人なのである。
 それと同じ意味で、「鍵泥棒のメソッド」を動かしていくエンジンになるのは、なんといっても広末涼子の演じた婚活女性、香苗のキャラクターだ。奇しくもこの映画でも、‘コンゲーム’が彼女の婚活と絡み合う。
 ‘婚活’と‘ラブストーリー’というおよそ相容れない価値観を、こんな風に‘接着’させた内田けんじの脚本がなんといってもすごいのだけれど、それは言い換えれば、香苗というキャラクターを生み出したすごさだ。
 広末涼子自身、ジェイヌードのインタビューで「いそうでいないタイプ」と香苗のことを語っている。
「結婚したい女性や働いている女性が観たら、きっと共感してもらえるんじゃないかなと思っています」。
でも、「いそうでいない」というキャラクターを見つけ出せたら、映画監督としては勝ったも同然じゃないだろうか。だって、それは「寅さん」を見つけたということなのだから。

「香苗って頑張っているのに表情に感情が表れない。でも、これだけ表情をなくしてしまうと怒っているように見えないかな、違和感がないかな。撮影中はそんなふうに心配だったのですが、出来上がりを観たら、そんなことはなく、監督が『表情を消しても消しても、伝わるから大丈夫です』と言ってくださった意味がやっとわかりました」

 この‘いそうでいないタイプ’は、今という非婚の時代、結婚という制度がほぼ破綻している時代、もしくは、恋愛も困難かもしれない時代の、男女の心象風景をたしかに捉えている。ところが、内田けんじのすごいのは、それを、彼自身が好きだという、'30〜'40年代アメリカのスクリューボールコメディやロマンチックコメディの軽やかさに乗せて、駆け抜けさせるところ。ラストシークエンスはしびれますわ。
 みごとさは隅々のディテールに宿っていて、そもそも出だしから「あれ?」って思う芝居があるわけ。それが後でわかるわけよ。
 個人的にうれしかったんだけど、「運命じゃない人」のときからこの人の映画に登場する‘ずるいけどいい女’が今回も活躍します。それとどこか憎めない悪役。
 ところで、「夢売るふたり」を観た日になくした腕時計が、「鍵泥棒のメソッド」を観て帰ってきたら出てきました。洗濯機と壁の隙間に落ちていた。「夢売るふたり」でなくしたものが「鍵泥棒のメソッド」で見つかる、できすぎた話に聞こえるんだけれど、ほんとの話です。