知る権利

knockeye2013-12-28

 城繁幸が週刊SPA!のコラムに書いていた記事がおもしろかったので、紹介したいなと思いつつ、年末の忙しさにとり紛れていたが、どうやら紹介するまでもなく、同じ文章がブログにアップされているらしく、はてなブックマークの数をみると、わりと反響のあった記事のようだ。

 香山リカをリベラルとはいわないと思う。社会に対する個人のああいう態度を、日本語としてもっともしっくりくるのは、‘リベラル’よりも‘おためごかし’だと思う。
 そもそも、誰かが自分たちと違う意見をもつ理由を‘自分たちが嫌いだからだ’などと考えていたのでは、自分たちと意見の異なる人たちとは議論すらできない。その態度はリベラルとは真逆だろう。
 「自分は正しい、おまえは間違っている」では嫌われるのは当然だろうと思う。
 たとえば、特定秘密保護法に反対することがほんとうにリベラルだろうか?。すくなくともそう自問する態度を、内心に担保しておくべきではないのか。公務員が立場上知り得た秘密を漏洩することが、国益を損なうことはないのか、そこに法の網をかけておくべきではないのか、という不安は、中国の脅威が増大している現状にあっては、一般の国民にとって、杞憂でも詭弁でもない。そうしたまじめな不安に答えようとせず、「反対、反対」を連呼する教条的な態度は、リベラルとはほど遠いと私には思える。
 前にも書いたことだが、私が特定秘密保護法に反対なのは、公務員が守るべき秘密を公務員自身が決めていたのでは、公務員に法の網をかけるどころか、彼らの不正に法的な抜け道を用意してやるようなものだからだ。
 つまり、官僚の意向が法に優先してしまう、そのことが問題なのに、「反対、反対」の人たちは、公務員に法の網をかけることに反対して、彼らに特権を与えることを推奨しているかのように見える。これでは、国民の知る権利を守りたいのか、国民の知る権利を官僚に明け渡したいのか、どちらかわからない。
 今年一年を振り返るという時期だからというわけではないが、警察がでっち上げてきた冤罪事件のうちでも、最悪の冤罪事件、パソコン遠隔操作事件の真犯人とされている片山さんは、何の証拠もないまま、もう300日以上拘留されたままで、おそらく今年はこのまま年を越すのだろう。目の前で現に人権が踏みにじられているのを見過ごしながら、「国民の知る権利」などというマスコミの言いぐさをなぜ真に受けるのか?。
 鼻じらむのは、相次ぐ冤罪事件を受けても、捜査の可視化に消極的なマスコミが、本気で国民の知る権利を気にかけているとはとても思えない。マスコミが特定秘密保護法に反対している背景は簡単だ。彼らは、国民の知る権利を自分たちの既得権と混同しているにすぎない。彼らのいう‘知る権利’とは、官僚から情報を垂れ流してもらえる権利にすぎないだろう。