モネ展、肉筆浮世絵展、松崎十朗展

knockeye2015-12-07

 上野でモネ展を観た、ちょっと前だけど、東京都美術館。上野でモネ、鯉の池に生麩を落としたようなことになるのは目に見えている。
 そういうわけで、じっくり観ようとかいう気は起こさず、ざっと観てまわった。マルモッタン美術館所蔵の最晩年の絵がほとんどで、モネと聞いて、まず思い浮かべる、微妙な色彩へのこだわりみたいな作風ではもうなくなっている。
 抽象絵画表現主義のさきがけのように言われることもある、このころの絵は、ジヴェルニーの庭の、柳、睡蓮、水草、の光のゆらぎ、うつろいに心奪われているように見えた。たしか、目を患ってもいたはずだ。
 最愛の妻を失った時にも、悲嘆にくれながら、その顔に死が刻印してゆく、色の移ろいをとらえようと、夢中で筆を動かしていた、絵描きの業としかいいようのないものが、老いてもなお、この人を突き動かしている。
 見えない目に、見えているものを、見えないまま、写し取っている。しかも、柳の絵の力強さ。それを見るだけでも観に行く価値がある。

 ちょっと変わったところでは、ウジェーヌ・ブーダンカミーユピサロ、ポール・シニャックのスケッチがあった。

 シニャックは、モネの絵を観て、画家を志したのだそうだ。
 上野の森美術館で開催されている、肉筆浮世絵展にもいった。せっかく、モネを観に来たのなら、モネの愛した、浮世絵の名品も観て行けば良いのに、こちらはさほどの混雑はない。
 これは、個人コレクションだそうだ。肉筆浮世絵は点数が少ないのに、なかなか充実している。
 肉筆の浮世絵で美人画となると、上方の比重が増してくるそうだ。上方では、浮世絵版画というと、ほとんどが役者絵で、美人画や風景画はなかった。そういわれると、それは、江戸時代以前からの、いわゆる「本絵」の伝統があるわけだから、なんかわかる気もする。

 西川祐信は、鈴木春信に影響を与えたとされている。鈴木春信の創出した、錦絵というメディアに、江戸っ子が熱中したほどには、京、大阪の人は、そんなに熱くならなかったのかなぁ?。
 葛飾北斎の肉筆は、多く残っているが、渓斎英泉の肉筆は、私は、初めて観た。


 渓斎英泉の女の、目鼻立ちの、ワザと崩した感じは、やっぱりわざとなんだなっつうのがよくわかる。目が離れて、釣り目で、シャクレで、つうこの感じが、同時代人に訴えた何かに、江戸の頽廃と爛熟を見てしまいますね。
 同じく、上野の森美術館でやってた、松崎十朗展「静かな時」の一連の作品はどれもよかった。ということは、わたし、これ、先月に観に行ってんだな。