国芳水滸伝

knockeye2016-09-20

春だったね

春だったね

 今日はなんか一日中、頭の中にこの曲が流れていた。この曲が収録されている吉田拓郎のアルバム「元気です。」は持っていたから、多分よく聴いていたはずだが、当時は、「祭りの後」とか「たどりついたらいつも雨降り」とかが好きだった。とくに、「祭りの後」の「日々を慰安が吹き荒れて」という、吉野弘の詩を借りた歌詞は、今でもときどき頭に浮かぶ。
 でも、今日は、アルバムの冒頭に置かれた「春だったね」が、フラッシュバックみたいに急に頭に浮かんできてずっと流れてた。
 太田記念美術館で、歌川国芳の《通俗水滸伝》を集めて展示しているので観に出かけた、先週末。全74点のうち73点が、前後期に分けて展示されるそうだ。だから、来月にもう一度行くつもり。ああ、そのときワタリウム美術館に行けば、ナムジュンパイクも展示替えしてるかも。図録を予約したけどまだ来ないな。
 《通俗水滸伝》 は、歌川国芳をスターダムにのし上げた国芳初の大ヒット作だった。しかも、ただの大ヒットではない。たとえていえば「君の名は。」と「シン・ゴジラ」を合わせたほどの大ヒット(あくまで喩えだが)で、九紋龍史進などの登場人物をまねて、江戸っ子に彫り物が大流行した。
 歌川国芳といえば、幕府の規制を逆手に取った戯画や風刺画がなんと言っても魅力だが、考えてみると、出世作となった水滸伝の主人公たちも、みな中央の政治に反発する無頼漢たちだった。
 彫り物それ自体、儒教道徳に対する反抗だし(「身体髪膚、これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり」については、村上龍柄谷行人の対談を参照されるとよい)、幕末間近いこのころ、江戸っ子といえど、何かしらの閉塞感を感じていたのかもしれない。
 この九紋龍史進ますらおぶりを見よ。

そしてこの花和尚魯智深

いろんな花があるけれど、松島花とは対極じゃないですか。

 でも(と、あえて逆接の接続詞を使うが)、歌川国芳の生家はアパレル関係だった。いま、ユニクロで、オリジナルのTシャツが作れるので、私もなんか作ってみようかなとつらつら思うに、浮世絵なら、やっぱ国芳が一番だと思う。

こういうのとか

ケツのとこのプリントなんかセンスが良いでしょう?。松島花が着ても似合いそう。フランスに渡ったばかりの山本寛斎が、彫り物に締め込み姿でショーをしていた記憶がある。
 なぜ、水滸伝に彫り物が似合うのかといえば、共通しているのは、集団に帰属せず、むしろ、離脱しようとする意志の表れとして、主張する個性の強さだろう。
 雄鶏が誇示するトサカと彫り物は同じだろう。力と美が一致する世界だ。
 こういう個人が、社会に求めるのは美と力を競い合う場で、正義に求めるのは正確なジャッジメントだろう。彼は徹底的に個人主義的であるはずだと思う。
 男についてのこんな価値観を共有していた社会を、いまはもう想像しがたくなっていると思うがどうだろう?。
 そういえば、会場にもすごいタトゥーを入れた人がいたわ。