
グローバリズム以後 アメリカ帝国の失墜と日本の運命 (朝日新書)
- 作者: エマニュエル・トッド
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2016/10/13
- メディア: 新書
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それで、手始めに『グローバリズム以後』という、インタビュー集を読んでみた。1998年から2016年まで18年間、ウインドウズ98の時代から、iPhone7の時代までのインタビューを、時代をさかのぼる順序で採録している。
かなり長いスパンであるにもかかわらず、ぶれずに、現在に近づくにつれてだんだん解像度が上がってくるのがたのもしい。右だの左だののつまんないことは言わないのはもちろん、まったく独自の視点なのを、だんだん思い出してみると、前に、鹿島茂が書評で取り上げていたことがあった。各国の文化ごとの家族のありかたと政治システムの相似性を論じていた。
素敵な学者さんはみんなそうだけど、この人も左派でありながら、どこか保守的に聞こえることもある。そういうわけで、教条的なセクト意識にとらわれがちな輩からは、非難されることもあるようだ。
『シャルリとは誰か』を書いたときは、ほぼフランス全体を敵に回した感があったそうだ。
「私はシャルリ」のころのフランスはたしかに「?」な感じだった。あれも最初の事件が起こったときは「言論の自由の侵害」という視点から見ていたのだったが、シャルリー・エブドに実際に乗ったマンガを見て「いやいや」と、ひいちゃったのは私だけなんだろうか。
スコセッシの「沈黙」を観て、シャルリー・エブドに載ったマホメッドの絵を思い出してたんです、実は。フランス版の「踏み絵」じゃないですか、あのマホメッドを侮辱したマンガは?。
フランス社会で生きていくためには、あの絵を受け入れろって言ってるわけでしょ?。そう考えると、フランスっていう、19世紀以来、真の意味で文化的といわれてきて、近代の文明をリードしてきた文化が、イスラムとどんな具合に軋轢を起こしているかがわかりやすい気がする。
切支丹を打ち払った秀吉の茶頭は千利休だったわけだから。そのころ、日本の文化はある頂点を極めていたといってもよかった。日本は、聖徳太子のころにすでに、仏教という外来文化を受容するか拒否するかで大きな争いを経験しているのだし、その後、二、三百年の時間をかけて(もっとかな)、それを自分たちのものにしてきたのに、「どうせお前ら未開人だろ」みたいなオラオラな態度で来られちゃたまんないわけよ。
でも、エマニュエル・トッドは面白いことを言っている。
「・・・日本は第二次大戦について考えることを少しやめ、江戸時代の数世紀にわたって平和であり続けた唯一の先進国だということ、日本の現実は平和だということを思い起こすべきではないでしょうか。そうした文脈において日本は米国やその同盟国、おそらくロシアも含めて安全保障を確保していくべきです。国家主義的イデオロギーの残滓と歴史の記憶が渾然となっているのは分かりますが。
私は日本人ではありませんが、日本にとっての真の問題は、こうしたことが結びついていることにあるのではないでしょうか。」
日本の近代のねじれを正確に理解している。
エマニュエル・トッドはトランプ大統領の誕生を言い当てたことでも知られているが、それはともかく、トランプって人はどうなってるんでしょうね?。
たとえばTPPなんだが、「TPP反対」って日本で叫んでた人の説明では、「TPPなんて受け入れたら、アメリカの企業に根こそぎ持ってかれるぞ」って話だったと思うんです。「アメリカが得するばっかだぞっ」みたいな。
それが、トランプって人は大統領になったとたんにTPPいちぬけしちゃったんですけど。
それから、プーチンと気が合うらしく(それ以上といううわさもあるが)、ロシアと和解したいってところは、わたくし、前々からそうすべきだと思ってきたので、うむうむなのですが、どうにも拙劣だったオバマ外交の数少ない成果である、イラン、キューバとの国交を、また反故にするみたいなこと言ってるし、現にし始めてるんですが、ロシアと和解して、イランとやりあうってのは、兄弟の兄貴と談笑しながら、弟を殴るみたいな、変なことだから、とうてい現実的じゃない気がするのですが。
トランプって人には近寄らない方がいいのかも。一年後ぐらいに首吊ってるかもしれない。