『ジェーンとシャルロット』

 先ごろ(2023年7月16日)亡くなったジェーン・バーキンを娘のシャルロット・ゲンズブールが撮ったドキュメンタリー。原題は、「Jane par Charlotte」で、1988年の『アニエスv.によるジェーンb.(Jane B. par Agnès )』を引用していると思われる(劇中に言及があったかも)。

Jane Birkin in her green days
Jane Birkin in her green days

 この映画を観て、自分が如何にフランス映画に詳しくないか、というと他の何かに詳しいみたいだが、そういうことではなく、フランスにとって映画の重要人物であることが日本とどれほど違うのかってことを気付かされた。
 サルトルが「文化は守られるべきでない」と言ったにもかかわらす、フランス人にとってはまさに文化こそフランスなのだろう。フランス人のアメリカに対する屈折した感情はよく言われることであるが、そういう時フランス人が口にすることはつまり文化なのだろうと思われる。
 そもそもジェーン・バーキンはフランス人ですらない。しかし、フランス人にとってそういうことではないのだ。そこが面白い。彼女の英語訛りのフランス語は「バーキニーズ」と呼ばれ愛されていた。フランス文化の担い手であること、それが重要であって、国籍などどうでもいい。国籍にやたらととこだわる日本のナショナリストに慣れきっていると、こういう感覚は新鮮。
 シャルリー・エブド事件などを見ても、フランス人がイスラム教徒を嫌うのは、イスラム教徒が宗教を文化の上位に置くからだろう。ライシテに見られるように、完全な政教分離を原則としているフランス人にとっては、宗教と政治を分離できないイスラム教が許せないのだと思う。おそらく未開人に見えると思う。とうてい肌が合いそうにない。原理主義の衝突と評した人もいた。
 ちなみに、大川周明東京裁判の被告)はイスラム教を日本の国家神道の模範に考えていた。少なくとも国家神道イスラム教の間に親和性を感じていた。それから連想すると、フランス人がイスラム教徒を見る目ってのは、普通の日本人が日本会議の連中を見る目と似ていると思う。
 日本と違って、フランスの場合はフランスの文化が栄光と正義と勝利に結びついている。日本の場合、日本の文化を振り回す側(そいつらの振り回しているのが日本文化だと思ったことがないが)が、恥辱と罪悪と敗北の記憶と結びついている。だから、彼らは歴史修正主義にならざるえない、お気の毒。
 ジェーン・バーキンは、また、エルメスの「バーキン・バッグ」のあのバーキンでもある。飛行機でたまたまジェーン・バーキンの隣に乗り合わせたエルメスの重役が、どうにもしっちゃかめっちゃかなバーキンのバッグを見て、「あなたのためのバッグをデザインできると思う」と提案したそうだ。ケリーバッグより大きめで日常使いしやすい。

Jane Birkin
Jane Birkin with the famous bag named after her

 
こういう写真を見ると、バーキン・バッグ以前の彼女のカバンが偲ばれる。 
 また、けっしてさりげなくはなく貼られているアウンサン・スーチーさんの写真を見れば、彼女と彼女のバッグが、単なる芸能人とそのファッションアイテムではなく、メッセージの担い手である自負が見て取れる。
 つまり、ジェーン・バーキンシャルロット・ゲンズブールは、そんじょそこらの母娘ではないのだ。その自意識は、彼女らの間に聳える壁でもあると同時に、彼女らのレゾンデートルでもある。ジェーン・バーキンは、娘の中でもシャルロットには遠慮を感じていたと言った。それをシャルロットの側も感じていた。そんな会話を交わすにも、彼女らはカメラの前でなければできない。
 たとえ芸能人一家であったとしても、日本人の娘が母親の晩年をフィルムに残すって時にはこんなふうにはならないだろうと思う。ジェーン・バーキンシャルロット・ゲンズブールの間にはそもそもプライベートな空間などなかったのではないか。少なくとも、カメラの前の方がはるかに自然にふるまえたのではないか。
 
 大昔、ふらんすに「お」がついていた時代なら鼻についたかもしれない。しかし、今はそういう時代でもないし、フランス文化(もしかしたら失われていくのかもしれない)に素直にリスペクトを感じつつ、この母娘の会話を聞いていると、文化ってこういうことなんだと改めて思わされる。
 是枝裕和の『真実』に出演するにあたって、カトリーヌ・ドヌーヴが「絶対バリを出たくない」という条件を出してきたのでロケ場所に困ったそうだ。これを日本人がするとおフランスの真似事にすぎないが、ドヌーヴにとってはごく自然なことだったと思うのだ。
 ジェーン・バーキンがコンサートをやると晩年でさえ日本でも多くの人が集まった。私には上手いのかどうかよくわからない。日本でたとえると小泉今日子なんじゃないかと思う。松田聖子中森明菜は誰が聴いても歌が上手い。でも、小泉今日子の歌が下手だというのは違うと思うのだ。これを言語化するのはとても難しい。松田聖子中森明菜は、歌謡曲文化の掉尾で、小泉今日子はアイドル文化の先魁であるのかもしれなかった。
 ジェーン・バーキンの歌はそんな意味でのフランス文化の歌声なのだろう。
 セルジュ・ゲンズブールの旧居を母娘で訪ねるシーンには、彼女らの担っている文化の、並大抵でない重みとその古さが伝わってくる。ある意味ではあれは『桜の園』かもしれないと私には思えた。桜の木を切る斧の音こそまだ聞こえないのかもしれないが。
 私たち日本人にとってだけ興味深い点は、この母娘の会話が、日本の旅館の縁側らしき場所から始まることだ。おそらく東京なのだろう。私のような関西人にとってさえ「何これ?」と思う、例の午後5時の音楽が会話を途切れさせる。「これいつ終わるの?」とジェーン・バーキンが言ったのには笑った。
 この映画になぜ日本が出てくるのか。もちろん、ジェーン・バーキンが日本で公演を行ったからなのだが、一方でやはり日本が文化の国だからだろう。ロラン・バルトレヴィ・ストロースにとってそうだったように、あるフランス人にとっての日本にそういう一面があることは確かだろう。木造の縁側、緑陰の庭、小津映画の一場面に出てきそうでもある。しかし、そこに午後5時のアレが流れてくる。桜の木を切る斧の音こそ聞こえないけれど。
 多分今でも、宮廷外交の公用語はフランス語だと思うのだが、フランス文化の持つ影響力はどんどん小さくなっていると見える。それがまだ大きく輝いていた時代、その周辺とは言えない、中心近くにいた母娘が別れの挨拶を交わそうとすると、こういう作法にならざるえないのだと思う。


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