「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」

knockeye2017-06-24

 本厚木の映画.comシネマで、「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」を観た。
 タイトルから想像するようなぬるい感じではない。「急がない人生」というけど、「急がない」も何も、この人にこれ以外の生き方ができたとも思えない。
 展覧会の時の記事にも書いたが、ELLEやハーパーズ・バザールなんかの仕事をしていたのを、80年代に辞めちゃった事情を本人の口から聞けた。それによると、「やりたくない仕事をやるくらいならやらないほうがいい」って気持ちだったらしい。その辺は、まさに芸術家だと思う。私の知るかぎりでは、それしかできないってのが、この人たちの特徴。
 ソール・ライターのNYの部屋を見ていて、「キューティー&ボクサー」の篠原有司男&乃り子夫妻を思い出していた。ソール・ライターは1923年生まれ、篠原有司男は1932年生まれだそうだ。篠原有司男と乃り子夫妻の生活を描いた映画は、観た人はご存知の通り、赤貧洗うが如しって感じだった。乃り子夫人は「お金がなくて綺麗に美しく別れることができないから、泥まみれになりながらも生きていくしかなかったってことじゃないかしら。」なんてインタビューに答えている。ソール・ライターとソームズ・バントリーも、2006年の『EARLY COLOR』が脚光を浴びるまでは、似たような生活だったのかと想像してみた。いずれにせよ、この映画のあの部屋にはソームズの不在がまだ色濃く漂っている。
 ソール・ライターは、“kick the bucket ” なんて言うんです。ソームズ・バントリーが亡くなったことを。
「“バケツを蹴飛ばした”、意味はわかるだろう?」
「ええ」
なんていうやりとりは、カメラを回しているトーマス・リーチが、日本人とか、ドイツ人とか、英語のネイティヴでないなら分かるけど、その言葉が含んでいる愛憎の陰影というか、生々しさは、篠原有司男と乃り子夫人ともに芸術家だったように、ソームズも画家だったので、三岸節子三岸好太郎の場合とかもそうだけど、芸術家どうしのカップルは、そりゃもう並大抵のことじゃなかったろうと思う。日曜美術館三岸節子の回で聞いたけど、三岸節子の枕元に、死んだ三岸好太郎が媾合いを求めに来たこともあったそうだ。
 たぶん、ソームズが生きていたら、「急がない人生で見つけた・・・」みたいなタイトルにはなってなかったと思う。ソール・ライターが語りかけているレンズのこちら側に意識しているのは、観客でもトーマス・リーチでもなく、ソームズ・バントリーなのだ。「kick the bucket」なんて言うのは、だからでしょう。
 もし、コマーシャル・フォトを辞めずにいたら、「ソームズにボナールの絵を買ってやれたかもしれない、だけど・・・」みたいなことも言っていた。正確に思い出せないのですけど。
 ソール・ライターの目の先には、いつもボナールがいたように思う。ソール・ライターが忘れられていた80年から今世紀初年代は、同時にボナールも忘れられていた時代かもしれない。ボナールの評価は彼の生前、必ずしも高くなかった。「蝶のやわらかな羽で2000年の若い画家たちの前に舞い降りたい」と言っていたそうだ。ボナールの没年、雑誌『カイエ・ダール』に、ボナールの偉大さに疑義を投げかける記事が掲載された、そのページに、マティスは「私は、ピエール・ボナールが、現在も、もちろん将来も、偉大な画家であることを保証する」と書き込んでいる。
 見てきたようなことを言うと思われるか知らないけれど、これは実際に見た。マティスとボナールの展覧会にその雑誌の現物が展示されていたのだ。それは2008年だった。
 ソール・ライターは「私なんて映画にする価値なんてない」みたいなことを繰り返し言うのだが、たぶん、そのとき思い浮かべているのは、ボナールやナビ派の画家たちなんだと思う。ナビ派の再評価は最近のことだから、彼のその感性は同時代的ではなかったと言えると思う。意外なこと(?)に、村上隆もボナールが好きだと公言している。
 ちなみに、この映画の字幕を担当したのは、ポール・オースターの翻訳で知られている柴田元幸であるのも話題になっている。