「キューティー&ボクサー」

knockeye2014-01-08

 日曜日は、Bunkamuraの後、シネマライズで「キューティー&ボクサー」を観た。
 篠原有司男80歳の誕生日から始まる。80歳なんだけど、住まい兼アトリエの家賃をどうしようか、みたいなのがすごい。だって、グッゲンハイム美術館のキュレーターが作品を買い付けにきたりする芸術家なんだけど、とりあえず、家賃が払えない。
 ボクシングペインティングとか、そういうの、どうかなぁと思っていた一時期もあったのだけれど、一昨年の春に、ジャクソン・ポロックの回顧展を観て考えが変わった。ポロックの場合、アル中の治療で描き始めた初期の頃から、無意識に描いているころの絵がやっぱりよくて、晩年(つっても交通事故で死んじゃうから、まだ若いのだけれど)、作品を意識し始めるブラックポーリングの頃はもうちょっとどうかという感じになる。ある作品など白で修正したりしている。それはやっぱり違うと思う。
 なので、ボクシングペインティングそのものは、私は楽しめるけれど、だけど、それを2013年まで続けていることには評価が分かれるだろう。70年代のころから変わらないからすごいと思うべきか、変わっているべきではないのかと思うべきか。
 この映画を支えているのは奥さんで、自身も画家である乃り子さんの存在。二十歳そこそこでやってきたニューヨークで有司男と出会い、一緒に暮らし始めて今に至っている。お子さんもひとり。
 芸術至上主義で、芸術がファーストプライオリティーだったことが共通していた、というんだけど、そのへんはとにかく、乃り子さんが有司男にべたぼれみたいに見えるんだけど、いつもながら、女が男に惚れる感じは、わたしにはよくわからない。
 芸術家の男女が一緒に暮らすのは、一つの植木鉢にふたつの植物を植えるみたいなもので、すごくたいへんなんだけど、ただ、ふたつともが花咲いたときにはすごくきれいになる、と、乃り子さんはいうわけ。
 乃り子さんは、いま、「キューティー&ブリー」という自伝的なシリーズで少し注目を集めているらしい。映画の帰りに、ニューヨークの個展の日本版「Love Is A Roar-r-r-r! In Tokyo」をパルコミュージアムで観たけれど、乃り子さんがそう言った意味は納得できる。この展覧会のタイトルも、有司男は「Roar-r-r-r! だけでいいと思う」と言ってたんだけど、乃り子さんが「Love Is A」を付け足したの。
 芸術が芸術家から離れて存在しうるという考え方もあると思う。それとは逆に、芸術家という生き方があってはじめて、そこに芸術が存在するという考え方もあると思う。私は後者が正しい気がする。
 乃り子さんが「私はあなたの後を追うのをやめたの」というところがある。あれは、やっぱり芸術家の言葉で、奥さんの言葉じゃない。それがすごいと思った。
 それから、ご子息のアレックスさんの絵もちらっと出てくるんだけど、絵としては私はあれが一番気に入ったので、もうちょっと見せてほしいと思ったけど、映画のテーマと関係ないから、それはしょうがなかった。
 グッゲンハイムのキュレーターは、篠原有司男の絵を買うのをやめたみたいで、そのとき、篠原有司男が「今年は李禹煥・・・」みたいなことをつぶやくんだけど、じつは、Bunkamuraのルシネマのついでに、ギャラリーものぞいたんだけど、そこに李禹煥の絵が一点売ってた。たしか、700万くらいじゃなかったかな。お正月、実家でテレビ見ていたら、中谷美紀李禹煥が好きだと言ってたな。
 香月泰男の小さい、20×20cmくらいの黄色いパンジーの絵があって、これいいなぁと思ったら、やっぱり、李禹煥のと同じくらいか、もっと高かったかも。それと同じくらいのレオナール・フジタの水彩があって、あれ?これ安いな、と思ってよく見たら0一つ見落としていまして、1000万超えてました。