「パターソン」

knockeye2017-08-27

 ジム・ジャームッシュの新作「パターソン」で主演しているアダム・ドライバーは、「スター・ウォーズ」のカイロ・レンで有名になった。カイロ・レンの素顔を見たレイが「え」って顔をするが、今にして思えば、あれはキャスティングが意外だったのかもしれない。
 マーティン・スコセッシ監督の「沈黙」も良かったが、私としては、ベン・スティラーナオミ・ワッツアマンダ・サイフリッドと共演した「ヤング・アダルト・ニューヨーク」のしたたかな現代青年が忘れがたい。
 この映画のアダム・ドライバーは、パターソンという町でバスの運転手をしながら詩を書いている。詩人という職業は存在しない。詩人で食える人はいない。それでは詩人という呼称は何のためにあるのか?。尊称のようなものか?。それとも病名?。あるいは特殊な種族のようなものか?。でも、もしかしたら、諡号が一番近いかもしれない。死後しばらく経って知り合いの誰かが、そういやあれは詩人だったね、みたいな。
 そんな具合に、このパターソンのバスの運転手、パターソンは、毎日ノートに詩を書き付けている。バス、ノート、マッチ、もうすぐなくなるかもしれない、までは言わなくても、かなり時代遅れに思える道具が活躍している。詩も、そんな道具の仲間なのかもしれない。道具は実用性を失うことでたぶん疎外を逃れるのだろう。道具でなくなり存在になるんだ。
 だから、「では、何のために?」と問いかけることはできない。マッチやノートに、「何のために」と問いかけることはできない。しかし、自分自身にそう問いかけずにいられる人がどれだけいるか?。ところが、そういう時に、永瀬正敏なんかがベンチに座っていたりするのは、映画的な奇跡なのだろう。
 ちなみに、園子温も詩から創作を始めたそうだ。「ヒミズ」にもフランソワ・ヴィヨンの詩が引用されている。
 それから、ジム・ジャームッシュが、イギー・ポップを撮ったドキュメンタリー「ギミー・デンジャー」も、9月2日から公開される。これも楽しみ。