『僕たちは希望という名の列車に乗った』を観た

 こないだ、なんとなく『希望の灯り』を観たら、いがいによかったって話を書いた。あれは、ベルリンの壁が崩壊した直後の旧東ドイツの人たちの話だった。喪失感とほのかな希望。
 今回の『僕たちは希望という名の列車に乗った』は、それを遡ることおよそ35年、まだ、ベルリンの壁が建設されていない1956年の、東ドイツの高校生たちが主人公。
 だから、もしかしたら、あの高校生たちのだれかが、『希望の灯り』のブルーノだったかもしれない。まあ、あの高校生たちは、進学クラスのエリートたちだが、しかし、どうだろう、東西ドイツの統一という時代のうねりのもとでは、エリートも労働者もなかったとも思える。ともあれ、『希望の灯り』のブルーノと同じか、それより少し上くらいの年代の人たちに、青春時代、こういう選択をした人たちがいたと思うと、おもいっきり感慨深い。「おもいっきり」のなかみをネタバレすると、さすがに鑑賞の妨げになる気がする。
 ディートリッヒ・ガルスカという人が実体験をつづったノンフィクションをもとにしている。実話。

沈黙する教室 1956年東ドイツ?自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語

沈黙する教室 1956年東ドイツ?自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語

  • 作者: ディートリッヒ・ガルスカ,大川珠季
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 監督は、『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』のラース・クラウメ。主人公の高校生のひとり・テオのお父さんを演じたロナルト・ツェアフェルトはあの映画でもキーマンを演じていたし、クリスティアン・ベツォールト監督の『東ベルリンから来た女』にも出ていた。それから、フリッツ・バウアー検事を演じたブルクハルト・クラウスナーが、今回はランゲ国民教育大臣を演じている。これは、まるで違う役なので、ちょっと気が付かなかったくらい。

 ストーリーのはじまりは、じいさんの墓参りにかこつけて、西ドイツに出かけた東ドイツの高校生テオとクルトが、映画館でハンガリー動乱のニュース映像を見てしまう。ブダペスト民主化を求めた労働者のデモをソ連軍が弾圧して多くの死者を出した。
 で、あくる日の教室で、クルトが「ハンガリーの市民たちのために黙祷しよう」と提案して、多数決で授業開始から2分間黙祷することにきまる。
 この時の教師が大騒ぎしなければ、ただのいたずらみたいなものだったかもしれないとも思うんだけど、融通が利かないやつなのか、一時の感情にまかせてのことか、当局に通報してしまう。ことがおおきくなっちゃうんだ。
 でも、映画の中でも、西側のラジオを聞かしてくれる世捨て人みたいなおじさんが言ってたんだけど、本質的には、この黙祷をしたことで、彼らは、「国家の敵」になった。
 ラース・クラウメという監督は、この辺のシナリオがすごく達者だと思う。ともすれば、政治的なプロパガンダに陥りがちなテーマを扱いながら、このへんのセリフがキャラクターと一体化して画面に現れるから、ヒューマンドラマが成立する。この人なら言いそう、とかのレベルでなく、シナリオに書かれたセリフというより、人の言葉として胸に響く。
 高校生たちのキャラクターも見事で、主要な高校生たちは女子ひとりと男子4人という、ガッチャマンとかゴレンジャーとかそういう構成になってる。それくらいキャラクターがつぶだってる。

 それにくわえて、彼らの父母は、世代的にナチズムの傷を負ってきているのだし、まだそれは過去というにはあまりに生々しく、むしろ、主人公たちの黙祷は、彼らの親の世代の古傷に触れてしまったからこそ、ドラマが動き出したというべきなんだろう。

 ナチズムのトラウマとソビエト共産党の抑圧という状況がありながら、これが珠玉の青春ドラマとなりえているのは、本来の青春は、スポコンとか恋愛とかではなく、それもふくめて、全人的なイニシエーションをさしていたはずで、社会の理不尽をまのあたりにして、この若者たちが選択した行動の顛末がむしろ青春だったはずなんだった。

 日本とアメリカの文化が戦後共有しているのは少年性だという川本三郎のことばを紹介したけれど、とくに、日本は、文化を世代間で継続していくすべを失っている。ひきこもりが何万人という背景には、世代を更新していくイニシエーションが存在せず、「標準家庭」という官製の鋳型に人間を押し込んでいく日本社会のいびつさがある。「母性社会」などと江藤淳河合隼雄が指摘してきた病理がいま噴出している。いまある社会を守ろうとする母性が強い一方で、これを更新していこうとする父性が極端に希薄で、一度成立してしまったことは、ダメだと思いながらも変えられないのが日本社会なのである。

 香港で「逃亡犯引き渡し条例」の成立はとりあえず回避された。これをうけて、日経新聞に、雨傘運動のリーダーだった黄之鋒のインタビューが載っていた。今後の見通しに関しては、もちろん、だれも分からないだろうし、彼もわからないだろうが、こう述べている。
「政治体制には楽観していないが、香港の人々には楽観的だ。他の国に政治亡命を求めるつもりはない」
 香港のデモのようすをみるかぎり、この香港の人たちこそが香港の礎になるだろう。1956年の高校生たちの行動が、結局、今のドイツを作っているといえる、その同じ意味で、そうなるだろう。

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