そうはいうけど「問題の根底」は掘っていくとキリがないって話 石破茂のブログを読んで

 韓国政府が日韓の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決めたことについて、自民党石破茂元幹事長がブログに
「 我が国が敗戦後、戦争責任と正面から向き合ってこなかったことが多くの問題の根底にあり、それが今日様々な形で表面化しているように思われます。」
と書いている。

ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com

 実のところ、その認識自体には、何の違和感も感じないのだが、ただ、現役の政治家としては、「問題の根底」ではなく、「問題そのもの」に取り組まなければならないのではないかと思う。
 もっと突っ込んだ言い方をすると、なぜ「問題の根底」に目を向けるのかといえば、「問題そのもの」から目を背けているからではないか。
 「問題の根底」は、その道の学者や研究家が、あとからいろいろ言えばいいのだし、現に、いろいろ言うのである。
 政治家の仕事は、それではなくて、いま、目の前の「問題そのもの」にどう対処するかの行動であるはず。「問題の根底」に過去のいきさつがあるにせよ、文政権下の、徴用工判決、慰安婦財団の解散、レーダー照射問題は、国際的な常識を逸脱している。
 もし、「問題の根底」に、日本の侵略戦争があるというならば、当然ながら、張作霖爆破事件や、柳条溝事件のような、シビリアンコントロールの破たんには敏感であるべきだし、だとすれば、レーダー照射事件には厳しく批判的であるべきなのだ。
 日韓請求権協定で定められた手続きについて、日本の呼びかけに一切応じない、また、日韓両国で合意した「慰安婦財団」を一方的に解散する、などは、近衛文麿が「国民政府を相手とせず」と声明を出して、日中戦争終結の扉を閉ざしてしまった傲慢さとほとんど同じに見える。
 もし、日本の過去の戦争に真摯に反省しているなら、今の韓国の態度に批判的でないはずがない。
 東アジアのありとあらゆる問題の根底に、日本の侵略戦争がある、のかもしれない。たしかに。しかし、その説を耳にすると、人間のすべての罪は、アダムとイヴが神に背いて知恵の実を食べたせいだ、という、牧師の説教ぐらい退屈で実効性がないと思ってしまう。
 「で?」ということ。
 ちなみに、日本と韓国は、もう何百年も戦争していない。第二次大戦では、韓国もこちら側で戦っていたのである。まるで、連合国にいたかのような口ぶりだが。
 過去の清算が問題になるとき、私はいつも不思議に思うのだが、いったい、韓国という国は、軍事政権時代の闇をいつ清算したのか?。
 金大中大統領が自身の拉致事件を不問に付した、のは、たしかに現実的な処置だったのかもしれないが、ということは、しかし、今の韓国の行政、司法にかかわっている人たちの中に、金大中事件に関与した人間がいることにならないだろうか。
 それだけでなく、軍事政権時代に、市民を拷問したり、殺したりしていた人たちは、罪に問われたんですか?。光州事件にしろ、いまだにうやむやでしょう。
 徴用工判決なんて聞いてるとき、わたしなんかは、この裁判官のなかに、こないだまで、拉致とか拷問とかにかかわってたやつがいるはずなんだよなぁって思っちゃいます。