『フィロソフィア・ヤポニカ』ぜひオススメ

 明治維新は日本の文化を大きく歪めた事件だったと思う。
 仏教は、親鸞道元の原典に帰ることで、復旧が可能だろうが、国家神道に上書きされてしまった神道は、その本来の豊かさを取り戻すのが困難なだけでなく、国家神道に巣食っている日本会議のような連中が、凶暴な既得権益者として神道のあり方を歪め続けようとする状況では、日本人の生活感覚の中に今も残る神道的な死生観を、過去のどこに繋げていいやら、つなげる伝統を見つけることができなくなってしまっている
 それは、江藤淳が「自らの感情の充足と、"普遍的"原理の受容とのあいだにいつも背馳するものを感じつづけなければならなかった民族の不幸」と言った状況なんだけれども、それはしかし、薩長土肥の一員であった江藤淳ならばこその明治の感覚じゃなかったかと思う。彼らは、自らの手ででっち上げた国家神道などというまがいものに自縄自縛されてしまったように見えなくもない。
 中沢新一の『精霊の王』は、そういった明治の呪縛を離れて神道の本流を探った労作だった。
 その中で、日本の「宿神 =シャグジの空間はプラトンの言う『コーラ chola』というものに、そっくりである。」という一説があり、また「西田幾多郎は『場所』という文章のはじめに、こう書いた。「私がこれから考えようとしているのは、プラトンのコーラにたしかに関わりはあるが、私はプラトンと同じことをするつもりはない」。」また、「コーラの概念は、西欧哲学の内部に取り残された、野生の思考のかすかな痕跡なのであった。西田はその不思議な概念のうちに、自分の抱えている思想的課題を解くための、重要な鍵を見出して、それを「無の場所」と名づけて、土着思想の組織化の仕事に乗り出したのである。」
とあったので、西田幾多郎、田邊元の京都学派の哲学に興味が湧いて、中沢新一が『精霊の王』と相前後して出版した『フィロソフィア・ヤポニカ』を読んでいた。
 こないだも書いたが、その途中でたまたま『闇の脳科学』を読んでいて、その最新の脳科学が不思議に『フィロソフィア・ヤポニカ』にリンクしていくのを感じた。
 自我が脳の引き起こす現象であるとして、それがどのように引き起こされるのかについて、田邊元の思索を、脳科学構造主義微積分、集合論プラトンヘーゲル、カント、フロイトなどの言葉に翻訳してみせる中沢新一の理解力に驚嘆させられる。
 ロバート・ヒースほどではないにせよ、田邊元も忘れ去られ始めている哲学者だそうだ。が、
「しかし、その哲学の内部に深く踏み入ったとたん、私はそこに秘められたもののあまりの豊かさに呆然としたものである。
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そしてつぎには、絶対的な媒介性と転換性をめぐる田邊元の思考の現代性に感心した。
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同時代にこのようなカオス論的イメージを、田邊元ほど哲学的にも数学的にも明確につかみ取っていた思想家は(ベルグソンを除いては)いなかったと思う。
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さらに、彼の思想のもっとも重要な達成である「種の論理」の中に、正真正銘の構造主義と良識あるポスト構造主義を同時に見いだしたときには、私の喜びは頂点に達した。
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「種の論理」をなかだちにして、もういちど考えなおしてみると、現代の私たちが暗礁に乗り上げてしまったと思い込んでいる多くの問題が、別の意味、別の可能性をおびて、輝き出すのが見える。そのとき私たちは、思想の青い鳥はまさに我が家にいたことを知って、驚くことになるのだ。」

と書いている。
 中沢新一のこの本を読んでいると、田邊元の文章が難解なのは、読むこっちが頭わるいからだとよくわかる。
 しかし、中沢新一をもってしても、田邊元没後30年のさまざまな学問の発展があってこそ、この読み解きができるというのも確かなのだろう。
 西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」なんて、若いときに聞き齧っていたちんぷんかんぷんな言葉を、こんなふうに読み解いてもらえるとはそれだけでも感動的だ。
 西田幾多郎や田邊元が
「・・・モダンに対するプレモダンの価値だとか、西欧に対しての「東洋文化」の独自性などを高唱して、価値逆転のようなことを図ったのだとしたら、それは分離と非対称的関係を本質のひとつとするモダン制度を、たんに裏返しにした発想にすぎないし、そのことによって、むしろその制度は補強されていく。少なくとも西田と田邊による「日本哲学」にはそんな夜郎自大なところは少しもない。
そうではなくて、彼らは意識してモダン制度全体の外に立とうとしていたのである。」

「カントは人間的なものとモノ自体を分離することによって、近代世界を基礎づける哲学を創造したが、このような分離や純粋化を推し進めたことの結果として、ハイブリッドの氾濫というパラドキシカルな現実は生み出されたのだ。そして、そのような事態に対処するために生まれた、ハイデッガー的な脱構築もテキスト論も言語主義ももろもろのポストモダン思想も、最終的にはモダン制度の内部の出来事に留まってしまっている。」

「ヒトの考えおこなうことを自然の営みと分離しようとするのが、モダンを基礎づける大分割の原則だとするならば、そこからはすぐに主体とその対象との分割が発生してくる。そして、主体とその対象との間には、動かし難い非対称的な関係が生まれてくるのだ。西田哲学における「述語論理」の徹底は、このような純粋化に対する否定の姿勢を表現するものである。西田的な述語論理は、環境から分離された自律的主体が可能だと考えるモダンの幻想を、根底から否定しさろうとしている。」
 
 田邊元の哲学、そして「種の論理」の多様な、中沢新一の言葉によるとバロック的な内容は、是非『フィロソフィア・ヤポニカ』本書を読んでいただきたい。ここでは、『精霊の王』に説かれていた一面、『フィロソフィア・ヤポニカ』では、第5章の「個体と国家」だけに絞って書いておきたい。
 中沢新一自身のエピローグでも、その日たまたま開いた新聞の4面の記事にふれてこう書いている。
「新聞にあふれる記事はどれもこんな調子なので、ときたまその中に、まじりっけなしの政治問題を語る、航空機を乗っ取った中年過ぎの過激派の声明だとか、愛人の死と自分の出産の感動的なエピソードを、まじりっけなしの私小説に書いた女流作家の文章などを読むと、私たちは少しばかりほっとする。現代にもまだそんなモダンの孤島が残されていたことを知って、ほのぼのとした気持ちになる。しかし、同時にそれが奇妙な光景なのだということも、私たちはよく知っていて、現代中国における自動車数の激増に連動する世界的な石油価格の高騰やそれに対するヨーロッパ農民の反発、大気中の二酸化炭素量の増加などとまったく無関係に、その過激派によって語られる純粋な政治問題としての航空機乗っ取りなどというものに、どれほどの現実的な意味があるのか、死や出産という出来事を、この時代にこれほど純粋に作家個人の体験に還元してしまう文学という行為に、いったいどれほどの価値があるのか、私たちには正直もうよくわからなくなっている。私たちに必要なのは、気象学者やバイオ技術者たちが実験室でおこなっていることの本質を、実存や政治の場でおこっていることの本質に媒介・翻訳して語ることのできる、真実にハイブリッドな思考をつくりだすことなのだが、ハイブリッドな現実の氾濫に対して、思考の側の取り組みは後手に回ってばかりいる。」
 この目の前のリアルに対する切実な問題意識が、中沢新一を読むべき理由だと思う。 
 現に、今もなんで始まったかわからない自民党の総裁選が始まっているが、明らかに極右の女性候補が、マスコミに「自分を右翼と呼ぶな」という記者会見を開いてマスコミに公然と圧力をかけている。
 その程度に日本の右左の対立は虚なものであるには違いない。状況は田邊元の頃も同じだったらしく、いわゆる「近代の超克」の近代的知性に対する批判に理解を示しながらも、そうした抗議の結果がもたらすだろう災厄について憂慮していた。というより、京大の大学教授として、現実に権力の横暴に晒されていた(『太陽の子』の舞台も京大だった)。

「種的基体」を土台から腐食させ、解体していく「資本主義による自由主義」に対する危機感から発生した、さまざまなタイプの社会主義をめざす運動の試みが、国家の非合理性に直面したときに、ほとんどすべて手ひどい失敗にまみれようとしていた。そうした試みのほとんどが、「種的基体」を解体に導いていく近代の現象に対抗するために、「土地と血」の民族的共同体の称揚に走り込み、自主自律的な「個」の活動との媒介を失った「民族 =国家」主義の非合理に落ち込んでいたのである。国家は、もともと「イデア =理念」性をもった存在なのだ。それが理性的であるためには、自主自由な「個」による実践的理性が媒介となって働いていなければならない。この点において、二十世紀の社会主義の試みは、すべてが失敗に帰するだろう。そこには「種の論理」が欠如しているからである。

 これは、いまアフガニスタンイスラム原理主義国家で起こっているさまざまことから、日本での日本会議とリベラルとの何とも空疎な口喧嘩までを見事に言い表している言説だと思う。

「種の論理」はこうして、二十世紀の最も困難な時代の最中にあって、「近代主義」と「近代の超克」とをともどもに乗り越える思考として、日本の一人の哲学者によって、孤独の中で創造されたのである。

 『闇の脳科学』で見たように、私たちの自我すなわち「個」は脳が生み出す現象である。その現象の媒介が「種」なのだが、田邊元はこう書く。

古代哲学における質料の動乱激動の場所に比すべき私の意味するところの種は、その構造を論理的に性格づけるとき、種の自己否定性による、それの分裂的対立とその対立が原統一に張り合うテンソル的二重対立性、というべきものである、というのが前節の所論の結果である。しからばこれに対する個の性格とそれの種に対する関係とはいかに考うべきであろうか。個はさきに注意したごとく、私が旧説(一九三五年の「社会存在の論理」のこと〔引用者注〕)において考えたような種の直接なる否定者ではなくして、種の自己否定により媒介せられたものでなければならぬ。直接に種と否定的に対立するのは個でなくして、種自身の自己否定的契機である。個はこのような種の自己否定を媒介とするのである。換言すれば、種とそれの否定との対立の統一というべきものが個と考えられる。種のテンソル的力場は前に述べたごとく、いかにこれを小さく分割してもそれの二重性的構造を失うことがない。これが種の特色たる無限可分性であり連続的全体性である。その故にかかる分割によって不可分者としての個に達することは出来ぬ。個は種の分割によって現われるのでなく種の否定的統一として現われるのである。種の自己否定の自己内還帰というべきものが個である。(「論理の社会存在論的構造」)

これを中沢新一の言葉で書くと

「種」はちょうど「イデア」のように、存在の手前に止まり続けるフラクタル状をした非有の多様体である。その非有の前存在的な多様体である「種」自身が、みずからを否定して、有への飛躍を現実化する。だから、「種」というカオスがなければもとより「個」などはなく、また「個」によって現実化されないかぎり、「種」はついに仮想的な場所として止まり続けることになる。有は非有の多様体をみずからの基体とし、カオスの内部から有は生成するのだ。

 デカルトの言ったように「我思う、故に我あり」と、近代の知性は、「個」を他の全てから解き放たれた存在として捉えてきた。しかし、現実のわたしはそれほど確かではない。「個」は「種」(この場合は社会)を媒介として発生する。
 しかも、「個は種の分割によって現われるのでなく種の否定的統一として現われる」ので、「個」はやはり「種」と繋がっている。そのような「個」だからこそ「社会」が成立する。「我思う、故に我あり」では社会は成立しない。
 そして、「類」(国家)は、そうした「個」と「種」の統一として発生する。そうでなければ国家はなくていい。というより、そうでなければ国家といえない。 
 以下、断章的に引用を連ねておく。これを要約する愚は避けたい。是非ご自分で読んでもらいたい。
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あらゆる生物の個体は、このように前個体的な場所を現実化するものとして、生まれてくる。個体の形についての情報は、すべてこの前個体的な多様体に含まれている。そこで、ドゥルーズのように、こう書くこともできる。「個体は、したがって、前個体的なひとつの半身と隣接しているのであるが、ただしこの半身は、それ自体において非人称的なものであるというよりも、むしろ、そうした前個体的なもののもろもろの特異性の貯水池なのである」(『差異と反復』)。
前個体的な半身とつながっていて、そこに個体として現実化してきたときにあらわれてくることになる特異性のすべてが蓄えられているという、この「鯰人間」としての個体のあり方は、そのまま「イデア」のものではないだろうか。

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「個」と「種」の間のもっとも大きな違いは、この自己否定的な強度のあり方にあらわれる。「個」は「種」を現実化することによって、「種」のはらむ矛盾まで現実化する。それまでは、「種」は有無を無限葉層に折り畳み込んだ、前存在の多様体の様相を持っていたのだけれども、「個」はその有無の矛盾をそのまま肯定して、現実化してしまう。有無の間の絶対的な矛盾が、「個」の内部ではそのままに現実化されて、保存されることになるのだ。そのために、あらゆる「個」は生まれ、死ぬ存在となる。「種的基体」の多様体上で微分として張り合っていた諸矛盾が、「個」において、生(有)と死(無)の絶対的な矛盾のかたちに激化されて、現実のものとなるのだ。

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こういう「個」が媒介の働きをおこなうことによって、「種」からは「類」が生成されることになるわけである。「個」は自分の基体である「種」を、いわば否定的に(「個」は「種」を蹴りたてるようにして、「種」からの離脱を果たしたわけであるから)肯定する(「種」をつくりなしている自己否定をそのまま自分のものとして受け入れたわけであるから)ことを通して、生まれた。ここで大きな変化が起こる。「種」は質料性を持った多様体だ。そのために、自分の内にみなぎる強度は、互いに作用しあって、自己否定的な分裂の状態を呈している。ところが、この自己否定性が「個」の内に転換され肯定されると、「種」的な強度を束縛していた条件が解きほどかれて、「個」の内部で自由な差異として、徹底されることが可能になってくる。

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そこで、自己否定的分裂が「個」を媒介として、絶対否定的でしかも統一性を持つ状態へ、すなわち「類」への飛躍を果たすことになる。

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ここから田邊元は驚くほどに現代的な、つぎのような思考を展開するのだ。つまり、「種」はテリトリー性(土地占有性)への傾向を内在させ、そこから共同体と土地との密接な結びつきが生まれる。だが、その空間性への愛着において、それは「個」の脱テリトリー性と対立するのだ。「個」の行為的実践を通して、「種」のテリトリー性が否定的に乗り越えられると、そこに「類」の時空統一性が出現できる。このような「類‐個」の媒介によって、「種」的質料の運動は、宇宙的な広がりをもった自由な純粋運動に転換されていく。こうして、共同体と民族と国家につきまとう根本的な問題である、土地占有性(領土性)の本質が、「種の論理」によって、みごとに解明されていく

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「個」のテリトリー化の現象と並行して、「種」的共同体は、自分の内部に分裂への契機を発生させることになる。あるテリトリーを占有するとは、そこから他の者たちを排除することを意味している。空間の永続的な占有こそは、あらゆる社会的不平等の第一の起源なのである。そして、「種」的共同体はいったん占有した土地には、強い執着を抱くものであり、これによって、時間の空間化を越えて時間の過去化が、共同体を構成する「個」の意識の中にも、深く根ざすようになる。社会的不平等とそれがもたらす社会の自己分裂と、過去の状態を伝統として維持しようとする傾向が、テリトリー化とともに深まっていくのである。

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ムラによる土地占有、民族による土地占有、近代の民族的国家による土地占有、土地占有のあらゆる形態が、「種」に内在する(時間性を潜在状態に沈めたところに発生する)空間の構造に、深い根拠をもっていることが、ここから考えられる。テリトリー化こそが「種」の構造の本質をあらわしているのだ。空間とは、人類学的・歴史学的な視点に立つとき、人類の前にまずこのような土地占有の現実として出現した。そのことを離れて、空間の意味を考えることは、近代の抽象思考にすぎない。

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そして、ここから、田邊元の考える「類」についての、もっとも決定的な表現が躍りだすことになるのだ。つまり、「類」とは「種」のおこなう空間占有を否定する、「分配の正義」への意志の構造そのものなのだ。
「個が種の自己否定を絶対否定に転ずるによって発生するというのも、ただ一般的に種の矛盾の絶対的に否定せられ、種の質料的基体が主体化せられるということによって個が成立するという意味でなくして、種の占有的矛盾が絶対的に否定せられ、いわゆる分配の正義というごときものを基底的契機とする社会的正義の統一として種が類化せられるのに即して、かかる類の成員として個が成立するのである。(「論理の社会存在論的構造」)」

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国家は典型的な「類」として、このような「分配の正義」への意志を内在させたものでなければならず、そうでない国家は、「類」的国家ならざる「種」的国家にすぎない、という主張がここから出てくる。

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国家は種的共同社会が個の自由自主性と否定的に統一せられた被媒介態であって、基体種を主体個によって否定即肯定せる類に相当する。

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このような「種の論理」による国家論を構想することによって、田邊元は同時代のすべての現実の国家を批判するという、大胆な試みに取り組んでいたのだ。