『鎌倉殿の13人』と日本人の「天罰」

 『鎌倉殿の13人』での源頼朝のやり口が非道すぎて、大泉洋だからまだ見てられるけど、他の人が演じてたらたぶん顔を見るのも嫌になっただろうって気がする。大江広元が今の麻生太郎のご先祖さまらしいから、現在の政治状況のカリカチュアとしても胸糞が悪い。
 小栗旬の演じる主役の北条義時も、好青年がついに義経の謀殺に暗躍するところまでになった。ただ、これは史実ではなく三谷幸喜演出のプランのひとつらしい。奥州藤原氏を滅ぼしたあとの鎌倉の御家人たちが酒宴で語らう席で、義時が梶原景時に罪悪感を語る。その時、梶原景時は、善悪の判断は天に任せよという。それに対して「甘んじて天罰を受けよと?」と義時がいう。
 今年の大河ドラマ梶原景時の描き方はちょっと変わっているそうだ。以前は単純な悪役として描かれることが多かったというが、そもそも挙兵の初戦で敗れて、岩穴に隠れていた頼朝を見逃したのが梶原景時だった。その辺りの動機を、今回の三谷幸喜脚本は「天意」と解釈していた。決断に迷う時、自分で判断せず天意に任せる、不可知論者として描いている。上総広常を殺した時も双六の勝敗に判断を委ねた。 
 これは、しかし、日本には古来からあった思想(?)のようで、「くがたち」と言われる裁判方が、室町時代までは行われていた。ほぼ魔女裁判のようなものである。wikiによると、古代には確認でき、しばらく姿を消していたものが室町時代に復活したとあるから、古代の迷信がその後もなんとなく心のどこかに引っかかり続けてきたものが、室町時代に為政者に利用されるに至って、かえって迷信として全否定されたのだろうと思う。
 「天罰」という概念がどの程度まで普遍的なのかわからないが、先週の『鎌倉殿の13人』で新垣結衣の演じる八重さん(義時の妻)が水死するのは、天罰にリアリティがあった時代のドラマとして見事だったと思う。
 水死させられたわが子と同じ文字を持つ孤児を救おうとして水に飲まれる、全く罪のない八重が死ななければならなかった、その理由を、当時の日本人は、義時への天罰と捉えたのだろう。特に義時自身がそう捉えただろう。
 日本人の社会正義の感覚は案外その辺から変わっていないかもしれない。最近はどうか知らないが、レイプの被害者になった女性に対して、女性たち自身が厳しいことを言う風潮は確かにあった。これは、フェミニズムの文脈より、日本の「天罰」意識、というか社会正義をどうとらえているかという、日本人の集団的無意識に注目すべき事柄なのかなと思う。


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