田能村竹田 没後180年展、フィラデルフィア美術館浮世絵名品展

knockeye2015-06-24

 土曜日、ともに6月20日から開催されている、出光美術館の「田能村竹田 没後180年展」と、三井記念美術館の「フィラデルフィア美術館浮世絵名品展」にでかけた。
 が、そのまえに、広瀬すずの「スタッフ軽視発言」とかに一言したりするのがブログなるものであろう。
 とんねるずの「食わず嫌い王決定戦」でのことらしいが

 広瀬は「すごいドライなんですよ。イルミネーションを見て『わぁ〜』ってリアクションができない。『これ(電飾)をあんな高い所にかけた人は一生懸命やってるんだな』っていうのは分かるんですけど」と性格を自己分析。これに石橋貴明(53)からテレビ局などで働く照明スタッフを見てどう思うか聞かれると、広瀬はこう言い放った。

「どうして、生まれてから大人になった時に照明さんになろうと思ったんだろう」

 さらに音声スタッフにも「なんで自分の人生を女優さんの声をとることに懸けてるんだろう。大人になって年齢を重ねるとともに、本当に(録音機器の)棒を…声をとるだけでいいの?って」と述べた。

ということなんだそうだが、そもそもこれを「スタッフ軽視」としか思えない連中に、毎度のことながら、うんざりする。
 デビュー作で突然脚光を浴びた十代の少女の、戸惑いと不安を、率直な言葉で表現している、いい言葉じゃないか。こういう風に、言葉で表現できるから、「海街diary」のあのお芝居もできる。
 だいたい、生放送じゃなくて録画なんだし、この言葉を放送したのは、まさに、その番組の「スタッフ」なんであって、彼らもよいと思ったからこそ、そのまま放送したんだろう。
 当の番組スタッフがそのまま放送してる言葉を、何の関係もないヤツが「スタッフ軽視だ」とか、余計なお世話だろうに。
 人の言葉をどうとらえるかは、結局、その人の品性でしょ?。いい大人が十代の少女の言葉を悪意にのみとらえて「謝れ謝れ」の大合唱ってどうなんでしょうね。ただのテレビ番組なんですけど。
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 出光美術館三井記念美術館は、地下鉄の駅で言うと、日比谷と三越前。歩こうと思えば歩けるくらいの距離。グーグルマップで検索したら、徒歩26分と出たので、結局地下鉄に乗ったけど、そんな距離感なんです。
 ほんとは三井記念美術館に鈴木春信を観にいったんだ。鈴木春信が大好きなので。そしたら、美術館のフライヤーみたいのをおいてるところに、出光美術館の割引券があったわけ。田能村竹田も大好きなので、これは行かなきゃって。出光美術館の方にも三井記念美術館の割引券がおいてあったから、事実上の相互割引みたい。いきなりせこい話で申し訳ないけど。
 田能村竹田展から話はじめるけど、田能村竹田の展覧会ってたぶん珍しい。まとめて観るまたとない機会だと思う。
 ジャンル分けするなら、文人画ということになるらしい。とても漢籍の教養が豊かだったらしいことが伝わってきます。
 ドラッカーの山荘コレクションを観た直後と言うこともあるかもしれない。今回、いちばん感動したのは、この「蘭図」。

 「蘭外無心 々外無蘭 若説筆墨則堕第二義 寫於緑苔小窠 甲戌初夏 山中人憲(蘭のほかに心なく 心のほかに蘭なし 筆墨を説くがごときは すなわち第二義に堕つ 緑苔の小窠に写く 甲戌初夏 山中人憲)」だそうです。
 それからこの自画像もよかった。香炉を手に月を眺めている。

その翌年に京焼の名工青木木米を描いた「木米喫茶図」もよい。木米は訪れた竹田のために、鴨川の水をくみ、平安三大老人のひとり、福井榕亭が手ずから作った茶を煎れてもてなしたと図録にあります。ちなみに「平安三大老人」は何のことかわからない。検索したけど、「老人三大骨折」しか出てこなかった。

 わたしが最初に田能村竹田という画家を意識するきっかけになった菊もあったし、同時代の文人画家ということで、青木木米、池大雅与謝蕪村、浦上玉堂などの作品も展示されています。
 もう終わったけど、サントリー美術館で「蕪村と若冲」という展覧会が開かれていました。与謝蕪村伊藤若冲は同い年なんだそうで、しかも、京都ではほとんど目と鼻の先に住まいしていたのに、まったく交流の跡が見えないのが謎なんだそうですが、でも、こうやって文人画っていうくくりで見てみると、たしかに伊藤若冲文人ではない。その意味で、あんまり話は合わなかったかも。
 ちなみに田能村直入は竹田の弟子というだけでなく、養嗣子なんですね。直入になると、もうボタニカルアートみたく、ル・ドゥーテとかと較べてみたくなる感じになります。川村清雄が、大阪東町奉行になった祖父と大阪に移った10歳のころ、直入に学んでいました。
 三井記念美術館で開催されている浮世絵展の方は、鈴木春信、喜多川歌麿、そして、東洲斎写楽の名品揃い。
 錦絵は鈴木春信によって始められたんだけど、とにかく、この人の絵は、デッサン力がすごい、と、西洋画風に言って良いものかどうか迷いはするのだけれど、この場合言いたいのは、たとえば次のような絵、

「やつし芦葉達磨」。この女子がちゃんと、一折りの芦の茎に乗ってますよね。
 武蔵野のお見立てもあった。

 「むさし野は けふはな焼きそ 若草の つまもこもれり われもこもれり」
伊勢物語第十二段「武蔵野」に材を取った絵には、俵屋宗達の「伊勢物語 武蔵野図色紙」がありますが、あれも、ドラマチックで良い絵です。
 歌麿と春信に共通して感じるのは、デッサンのすごさ。

鉛筆じゃなくて墨ですからね。上手い絵描きですよね。
 写楽の大首絵も有名どころがそろっていました。今回おもしろかったのは、上方の役者絵の状態の良いものがいくつかあって、それを見ていると、写楽は阿波の能役者だそうだから、写楽のあの容赦ない写実主義は、案外、上方の浮世絵に源流があるのかなと思えたことでした。上方の役者絵は役者を美化せず、ありのままに描くのが普通だったそう。
 それから、上方の浮世絵には、江戸にはなかった「合羽摺(かっぱずり)」という技法が19世紀まで続いていたそう。型紙で養生して露わなところに色を着けるっていう、それは、ポショワールじゃないの。ジョルジュ・バルビエの作品に、その最後のきらめきを見せるポショワールが、江戸時代の上方で行われていたって何か面白い。
 調べたら、合羽摺の「合羽」はもともと「外套」を意味するポルトガル語から来ているんですと。
 ただ、ジョルジュ・バルビエの「ビリチスの歌」はF=L・シュミットという浮世絵の研究家が独自に開発した木版画によっている。絵が、ポショワールから木版へと移っていくのは、ポショワールが描くという手の行為に近いからだろうと思う。これは、私の考えに過ぎないが、一般に人は、画家の描くという行為から、イメージを分離させたいと願うのではないかと思う。
 三井記念美術館に行ったときは、お昼をコレド室町西利でいただくことにしている。あそこのお漬物がやっぱりおいしいんです。ただ、今回なんだか人が少ないなと思ったら、午後二時でいったんラストオーダーなんですね。ぎりぎりだったわ。