ゴー☆ジャス

knockeye2015-06-19

 バナナマンバナナムーンGOLDは、TVから遠ざかっている今日このごろ、コメディアンのトークを聞く、ほとんど唯一の機会。現在進行形のTVタレントの栄枯盛衰はもちろん、笑芸の現状についても語るべき何物も持ち合わせないので、先週、スペシャルウィークのゲストに来ていた芸人さん四かた、永野、ラバーガール大水、ゴー☆ジャス、Go!皆川のご活躍について何ひとつ存じ上げないけれど、どうせ大したことねんだろ?。
 でも、先週の本編も今週のポットキャストもすごくおもしろかった。特に、ゴー☆ジャスの「☆」については、ちゃんと、つのだ☆ひろの許可を得ているとか、宇宙海賊はキャラのひとつに過ぎず、今メインで演じているのは、宇宙パティシエだとか、すごく重要なような、どうでもいいような情報満載だったんだが、このゆるい感じ、関西人としてなんか懐かしい気がした。
 大阪って街は、人口に対して芸人比率が高い街でなので、芸人って存在が特殊じゃないんだ。街で芸人に出くわすとかだけでなくて、知り合いが芸人目指してたけどダメだったとか、同級生のお父さんが芸人だったりとか、フツーに「職業」で、「キラキラ」じゃないのよ。
 そういう感じが東京にも根付いているって感じたんだけど、むしろ、東京に、今までそういう感じがなかったのは、なぜなのかなと考えてみる前に、ホントに少し前まではなかったのかつうと、80年代ころの、小林信彦の本なんか読むと、芸人の横のつながりみたいのはなくて、ギクシャクしてる感じがつよい。
 それは、時代の流れで、ちょうど浅草オペラがダメになる、落語の寄席が下火になる、そういうときで、それまであった芸人社会が崩壊するときだったということもあるし、大阪と違って芸能界の規模が大きいので、お笑いのイロモノ意識というか、ヒエラルキーの下層意識があって、タテの秩序が支配的だったためなんだろうと思う。
 それが変わってきたのは、それこそ、設楽統が付き人をしていたコント赤信号とかの「笑ってる場合ですよ」の世代とか、つかこうへいに続く小劇場の世代とかから、芸人が引け目を感じなくなったと思う。たとえば、よく例に引かれるのは、芸能人の運動会で、明石家さんま郷ひろみに勝ったとか。それが画期的だったことすら、今では「何で?」だろう。それまでは芸人がアイドルに勝っちゃダメだったの。
 それが決定的になったのは、ダウンタウンウッチャン・ナンチャンの存在で、ノーブランドと言われたけど、師匠につかず、自分らで勝手に売れた。ただ、ここで書いときゃならないのは、大阪の大師匠たちはほぼみんなダウンタウンの力を認めていた。芸人の社会が健全だったんだと思う。それは、ひとつには、大阪には笑いの市場があったし、笑いが職業として自立していたから、形骸化したヒエラルキーがのさばる隙がなかった。
 いま、東京の笑芸のありように、ダウンタウンが二丁目劇場で売れ始めたころの風通しの良さを感じるとしたら、その原因のひとつは、やっぱり、TVがメインストリームじゃなくなって、そうなると、人口規模のでかい東京が、小規模なライブでもエコシステムが成立しやすい。それこそ、グレイトフル・デッド方式じやないけどさ。
 今は芸人さんにとっても、ライブの方が、つまんない制約の多いTVよりやりがいがあるのかもしれない。その流れを用意したのはつかこうへいだと思うけど、それをずっと遡ってゆくと浅草オペラにまでたどりつくのかなと思うと、何か感慨深い。都市が成熟したとも言えるし、ようやく昭和モダンと言われたころの戦前にまで戻ったとも言えるのかもしれない。
 笑芸の歴史から鑑みるに、健全な市民社会の常識を、お上が振り回す、いかにもありがたそうな国益に譲り渡してはいけないと思う。フツーに面白いでしょっていうことの方が、政治家やメディアや学者が言うことより大切。つまんないことはしなくていいのよ。つまんないから。