『ヒトラーのための虐殺会議』

 1942年1月20日に開かれたヴァンゼー会議を議事録をもとに再現した映画。
 ヴァンゼーとGoogleマップで検索してみると、今でもその会議が開かれた家が保存されているのがわかる。ヴァンゼーのゼー(see)はドイツ語で湖を指すそうだ。
 会議の参加者でまず目を惹かれるのは、アドルフ・アイヒマン。映画『ハンナ・アーレント』のハンナ・アーレントが『イェルサレムアイヒマン − 悪の陳腐さについての報告』でその裁判についてレポートした人物。パンフの柳原伸洋がアイヒマンについて「彼は命令に従っただけの「凡庸な人物」ではなく、確実にやり手だった。」と書いているのは、ハンナ・アーレントを意識してのことだろう。
 ハンナ・アーレントが裁判を傍聴していた頃と違って、ヴァンゼー会議の頃のアイヒマンはまだ30代半ば。溌剌としていてそれがいかにも憎憎しい。だからこの人を「凡庸な人物」ではないと言いたくなるが、この有能さこそがまさしく凡庸さだと、ハンナ・アーレントが指摘したことはむしろそういう意味であった気がする。有能さの質が凡庸だとも言える。彼はどこまでも命令を理解して実行する行程について有能であるにすぎず、その中心にある思考停止こそが問題の本質だと老アイヒマンを見てハンナ・アーレントは思ったのだった。
 会議は当時のドイツのエリート15名によって、談論風発、侃侃諤諤、理路整然、何と言っていいのか、今で言うTwitterやヤフコメなどの書き込みに見られるような、いわゆる「クソコメ」、反知性とさえ評せないようなコメントなどと比べると、じつに知性的に進行する。彼らの議論には知的高揚感さえ感じられる。
 全欧州のユダヤ人千百万人を絶滅させる計画について、歴史的な瞬間だとか、運命が我々に課した使命だとか語っている。こういう言い草が大言壮語に聞こえないのは、彼らは現に600万人のユダヤ人を虐殺したからだ。目標の55%は達成したことになる。敗戦国の役人の勤務評価としては実に勤勉だったというしかない。ユダヤ人の殲滅が正義であると堅く信じていたことが淡々とした口調からよくわかる。
 会議中に、人道的な発言をして参加者をイライラさせるクリツィンガー首相官房局長でさえ、その人道的とはユダヤ人を処分するドイツ人の心の健康を気遣ってのことで、バビ・ヤール大虐殺の「効率的」な例から換算しても、1100万人を銃殺し終えるには、昼夜交代で殺し続けたとしても膨大な人数と時間がかかる、その殺す側の負担を懸念している。
 これに対してラインハルト・ハイドリヒ(会議の主催者)とアイヒマンが用意した答えがアウシュビッツガス室であり、ツィクロンBの使用であり、ゾンダーコマンドと呼ばれるユダヤ人の「現場作業者」たちだった(ちなみに、ゾンダーコマンドに関する映画としては『サウルの息子』があるし、美術ではゲルハルト・リヒターの《ビルケナウ》がある)。
 これら周到な配慮によってドイツ人の側は人道的な懸念からは解放されたわけで、こうした妥協点に到達する会議の進行は、実務の面からは、彼らの有能さを裏付けている。日本人がノモンハンでやらかしたような、爆弾を抱えて戦車に突っ込むようなやり方に比べるとエレガントでさえある。
 もうひとつ、実現したかどうか詳らかにしないものの、混血児の断種がある。ドイツ人とユダヤ人の混血について、法的定義をめぐる論争が起こる。ハーフならどうする、クォーターならどうするについて、殺すより断種の方が現実的だというのが議論のハイライトにさえなる。
 ここらへんの議論になると、こっちの頭もそうとうバカになってくる。まるで炎の先っちょだけを火元にふれずに消そうとしているかのように聞こえる。そしてその実現にギリギリまで近づける妥協点を探っているのがちゃんと知性的に見えてくる。
 「考えるだけで行動しないのは邪魔だ」「考えずに行動すれば失敗する」などと議論している。知性か行動かで議論している。ということは、この人たちのユダヤ人虐殺は、知性以前の所与のものらしい。この0℃の憎悪がおそろしい。
 この憎悪に比べると、韓国の反日ネトウヨ反韓などは子どもがぐずついているようなものにしか見えない。おそらく、ヨーロッパの誕生からヨーロッパ社会を貫いてきたキリスト教文化がこの憎悪をこの人たちに許してきたのだと思う。
 これは、でも、少なくとも1942年のドイツのこと。報道や映画で入管で人が殺されていることを知っている今の日本人は、 21世紀の日常感覚を持ちながら、このような差別に恥ずかしさを覚えないわけだから、ヴァンゼー会議のドイツ人たちに2023年の日本人は劣る。そのニュースに寄せられるヤフコメなんかを見ると吐き気がしてくる。
 ユダヤ人を劣等人種だと蔑んでいた彼らが今ではどれほど蔑まれているか、それを知らない訳でもないだろうに、ナチスの彼らとほとんど同じ口ぶりで入管問題に書き込みしている彼らの頭の悪さにも、人間性の欠如にも、そして、平然と差別的な法案を通そうとする自公政権と役人にも吐き気がする。


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