さまざまなその後

 ホン・サンスの『小説家の映画』にでてきたあの女の子、ポスタービジュアルの真ん中にいる子、あれは、偶然ではなく、ホン・サンスの演出だそうだ。シネマ・サロンのYouTubeを見てたら、パンフレットの監督インタビューがあって、撮影前日に思いついたんだって。天才だわ。

 山下達郎のサンデーソングブックの声明(?)は、山下達郎って江戸っ子なんだよなあと、今更ながらに思った。
 江戸っ子にはあんな風に啖呵を切ってもらいたいよ。「みなさまのおかげをもちまして・・・」みたいな江戸っ子、いやじゃん。
 ただ、あの声明を「聞きたくないやつは聞くな」と勝手に言い換えて言いふらしてるメディアがかなりあるんだけど、そういうふうに曲解されたくないから、わざわざ文書にしてるのに、まさしく
「今の世の中はなまじ黙っているといったもの勝ちで、どんどん嘘の情報が拡散しますので、」
って言ってる通りのことを、そのままやるんだから、救いようがない。

 もうひとつ思ったのは、新聞の権威の失墜。あるところで、当時、週刊文春を購読してたけど、ジャニー喜多川の記事にはまったく気が付かなかった、と書いたら、字が読めねえのか?と言われちゃったんだけど、それで気がついたのは、当時、1999年とかそのころ、週刊誌のセックススキャンダルなんて、文字として認識してなかったな、確かに。
 小林信彦さんのコラムを読むために買ってただけだから、その頃の週刊誌のセックススキャンダルなんて文字じゃなくてただの模様としか認識してなかった。
 これは大袈裟じゃなく、週刊誌のそういう記事を話題にしようものなら、「週刊誌の記事を本気にしてんのか?」って笑われた時代だった。
 これは今でも、まったくの嘘の記事がまかり通ってますよね。たとえば、芸能関係者が語っている記事なんてほぼ100%嘘でしょ。誰なんだよそれ。
 おぎやはぎが売れない頃、そういう記事を書くアルバイトをしていたそうです。
 だから、週刊誌に載ってても、テレビや新聞が取り上げないかぎり、うそとまで思わなくても、眉唾物だと思っているのがフツーだった。
 無意識に新聞をクオリティペーパーと認めてしまっていたわけ。ところが、1999年当時のジャニー喜多川のレイプが事実だったわけだから、新聞なんかを無意識にも信用していた自分が情けなくなる。
 当時から自分では充分に警戒していたつもりだったのに、無意識に新聞の方が週刊誌より信用できると思っていたみたい。
 今、ジャニー喜多川の報道をめぐる事態って、テレビより、あるいは五大紙と言われる全国紙より、週刊文春の方がクオリティが高いって証明しちゃってる事態なんだけど、それどう思ってるのかな、新聞記者さんたち。