『一月の声に歓びを刻め』ネタバレ

 三島有紀子監督作品では『幼な子われらに生まれ』が印象に残っている。浅野忠信田中麗奈宮藤官九郎、は記憶に残っていたが、あの時の田中麗奈の連れ子を演じていた子は南沙良だったようだ。 
 重松清の小説が原作、そして、脚本は荒井晴彦だった。この布陣だとやっぱりいい映画になる。役者としての宮藤官九郎のうまさも楽しめる。
 今回の『一月の声に歓びを刻め』は、三島有紀子のオリジナル脚本。重松清荒井晴彦の『幼な子われらに生まれ』に比べると、これは仕方ないが、やはり弱い。と言って悪ければ、手ざわりがごつごつしている。
 洞爺湖の中島、東京の八丈島、大阪の堂島(は、島じゃないけど)と、島が舞台の独立した3つの短編のオムニバス。
 洞爺湖編は、最良と最悪が共存している。
 最良なのはカルーセル麻紀の存在感。演技者としてのこの人を久しぶりに見たけど圧倒される。これだけでも観る価値がある。昔、辻仁成監督の映画に『ACACIA』ってのがあった。映画そのものはもう憶えていないが主演のアントニオ猪木の存在感だけは忘れられない。今回のカルーセル麻紀のマイムはそれに比肩する。
 最悪なのはその設定なんだけど、公式サイトを引用すると「マキ(カルーセル麻紀)はかつて次女のれいこを亡くし」「それ以降女性として生きてきた」は、そうとう無理。ありえないと言いたいくらい。
 娘がレイプされて殺された、そのショックでペニスを切り落としたも、かなり無理。百歩譲ってそれがありうるとしても、何でそれから女性として生きる?。ペニスのない男=女性じゃないじゃん。それは無理。だし、何ならLGBTの視点からは批判の対象になりかねない。
 これは映画が進んでうすうす分かる、というか、想像できることには、3つめの堂島のエピソードに無理矢理つなげたかったための無理なのかもしれない。
 ふたつめの八丈島のエピソードが、明るくて前向きで、個人的には好ましい。哀川翔もいい。が、説明的なシーンがくどすぎる。「事故発生現場」の看板を3回も続けて映さなくても、あとでセリフで説明するんだし、それは分かるし。
 それに「性加害」に関係する洞爺湖編と堂島編にこのエピソードが挟まれていると、このエピソード自体が別の意味を付与されてるようにもとれる。と、それはちょっとケミストリーというよりこじつけに思えなくもない。せっかくの明るいエピソードが作りっぽく見えちゃう。
 堂島編に描かれているエピソードは、監督自身の実体験だそうだ。
 ここで、最近、週刊文春由来の「性加害」という言葉について説明しておきたい。山口敬之の事件はレイプだった。ワシントン支局長らしく、レイプドラッグを使用しているし、被害女性はその日のうちに病院と警察に駆け込み、逮捕状も発行されてる。もし彼が安倍晋三の関係者でなければ逮捕されていただろう。
 じゃあ「性加害」ってのは何なのか?。レイプとどう違うのか?。松本人志の場合、被害女性はその日のうちに感謝のLINEを送信している。そんなレイプはないわけ。本人もレイプではないと思っているので「性加害」って言葉を使うのだろう。
 「性加害」って言葉はジャニー喜多川のケースから使われ始めたようだ。だとすると、「性加害」はたぶん「sexual abuse」を言いたいのだろうと思われる。一般的には小児や幼児に対する性的な行為に使われる。大人どうしの関係で「sexual abuse」はちょっとおかしい。なので「芸能界で強い影響力のある松本人志」という説明を付与しなければならなくなるのだが、しかし、本人が「ワイドナショーに出ます」と言っても出してもらえない立場が強い影響力と言えるか?。「性加害」って言葉は幼児小児、もしくは、身体に障害がある場合に限って使われるべきなのに、ジャニー喜多川の事件から拡大利用されている。
 ジャニー喜多川の事件はあれがまさに「性加害」だった。最近では伊東純也が「性加害」で訴えられているらしいが、大人の男女間で「性加害」は何を言ってるかわからない。「レイプ」と言えばいいのにそう言わない時点で訴えてる本人も「レイプ」の意識はないのが明らかだ。追加で松本人志を非難している女性がいるが、「あんな不愉快な思いはしたことがない」って、「不愉快なセックス」はもちろんありうるだろうが、それを言い出すと不愉快な恋愛、不愉快な職場、不愉快な食事、と何でもありうるので、それは犯罪でもハラスメントでもない。ホント大丈夫か?。
 話を元に戻す。前田敦子の堂島編は、過去のsexual abuseのトラウマで、愛していた人とセックスができなかった。そして、その彼が死んだってとこで踏みとどまった方が良かった気がする。モノクロームの映像で街の人が映り込む感じが良かったが、空回りしてるように感じた。 
 エピローグのカルーセル麻紀もすごく良かったが、でも、「れいこ、お前は汚れてなんかいないぞ」と叫ぶ時点で、汚れてると思ってるってことなので、亡くなって何十年も経ってまだその穢れの感覚が拭い去れないのは、あまりにも救いがない。
 というわけで、美しい映像、役者の存在感、に比して、シナリオが噛み合っていないって感じがした。

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