『サタデー・フィクション』 ネタバレ注意!

 『サタデー・フィクション』のこの「サタデー」は1941年12月6日の土曜日だ。日本で公開するかぎりは、この辺にもっとフォーカスした方が良かったのではないか。
 しかも、原作は、横光利一の『上海』

と、虹影(ホン・イン)の『上海の死』(邦訳はされてないみたい)

の2作品が絶妙にブレンドされている。横光利一の方は、劇中劇だが、これがまた登場人物だけは同一だが原作にはない場面。
 一方、演じられている蘭心大戯院は、セットではなく現存した当時の劇場。銃撃戦の行われるキャセイホテルも同じ。
 上海のこの恵まれたロケーションが、ロウ・イエにモノクロ映画を夢想させたのではないかと、翻訳家の樋口裕子さんがプロダクションノートに書いている。これはすごく面白いのであとでリンクしておきます。
 この2つの原作のブレンドは、濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』を思い出させる巧みさ。劇中劇と現実を行き来するストーリーに沿って流れるように転換していく画面がそれだけでも魅力的。
 濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』は原作を超えていると思ったけれど、ロウ・イエ監督の『サタデー・フィクション』もこのオリジナルなミックスで原作を超えたのではないかと想像する。
 宮崎駿監督が堀辰雄の『風立ちぬ』に堀越二郎の生涯を重ねたような着想のオリジナリティ。何かを原作にした映画を観る時、この手のぶっ飛んだ脚色に出会うとワクワクする。
 『サタデー・フィクション』の「サタデー」は1941年12月6日の土曜日のことだと書いたが、「サタデーフィクション」というこの邦題(原題は『蘭心大劇院』)は、横光利一の原作の、映画内で使われている変名である。つまり、横光利一の『上海』を、モー・ジーインという劇作家が書いた『礼拝六小説』として映画内では使っている。
 「礼拝六」という文芸誌が当時の上海にあったそうだ。「礼拝六」はそのまま「土曜日」を指す言葉。週末に気楽に読める読み物が主で、つまり「サタデー・フィクション」は「パルプ・フィクション」の語感と重なる。
 その気楽なはずの土曜日が、真珠湾攻撃の前日の土曜日と重なるっていうラストが見事すぎる。ネタバレは注意したはずなので、ここまで読んで「しまった!」と思った人はお気の毒。
 コン・リーの演じる女優ユー・ジンが、実は幼い頃から訓練されたスパイだとわかってくる過程も説得力があって、しかもかっこいい。サスペンダー愛用者としては、男まさりのあのサスペンダー姿に萌える。
 ユー・ジンが古谷三郎オダギリジョー)の奥さんに瓜二つという設定は原作にはないそうで、それだけでも、この映画はロウ・イエのオリジナルと言いたくなる。
 おしむらくはジャズメンたちに日本人がいないところ。『上海バンスキング』の登場人物たちを匂わせるような何かがあれば、醜悪な日本兵たちとのいいコントラストになったと思うが、時代的に『上海バンスキング』の10年以上後なので、その頃は日本のジャズメンたちはもはや絶滅していたのかもしれない。
 ロウ・イエ作品は、前の『シャドウプレイ』が現代の中国を扱っているのにわたしには今いちピンと来なかった。あまり時代が近すぎるとかえって実像が見えないのは仕方ないかもしれない。あれのどこに中国の検閲が入ったのかいまだにわからない。
 個人的には『シャドウプレイ』より『サタデー・フィクション』の方が断然オススメ。

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