「あん」、「駆込み女と駆け出し男」

knockeye2015-06-08

 「あん」と「駆け込み女と駆け出し男」を観た。これは樹木希林つながり。
 まず「あん」は、カンヌで評価の高い河瀬直美の監督。カンヌで評価は高いが、観客ウケはそんなによくないっていう状況には、アカデミズムの匂いがするわけだけれど、だからといって、悪いとはかぎらない。尾野真千子を世に出したのはこの人だし。
 「あん」はハンセン病患者に対する差別という社会問題を扱いながらも、原作はドリアン助川の全くのフィクション、というあたり、「チョコレートドーナツ」と成り立ちが似ている。タイトルがスイーツつながりなのは偶然だろうけど。
 社会問題をとりあげていても、それそのものがテーマならドキュメンタリーを撮らなければならないはずだから、この作品のテーマはそこではありえない。虚構には虚構の破壊力っていうのがあって、それはドキュメンタリーとは別の力を持っている。たとえば、山田洋次の「小さいおうち」はまったくのフィクションだけれど、原作を読んだ山田洋次が「この時代を僕は知っている」といって映画化を熱望した、その個人的な真実が反映している。
 そういった意味で、「あん」に力があるかというと、なくはないと思う。ただちょっと弱く感じられるのは、浅田美代子の役が代表している「外側」の描き方がややステレオタイプだからだと思う。
 それともう一点は、永瀬正敏の演じるどら焼き屋の店主が、樹木希林の演じる見知らぬ老女が、ハンセン病患者だと、いつ知ったのか、はじめから知っていたのか、知ってどう思ったのか、という描写がない。
 炊きあげる餡がすばらしいから、そんなこと何とも思わなかったんだ、はじめから偏見なんかなかったんだというならそれでもいいけど、それならそれで、その映画としての描写が何かほしかったと思う。それがないので、浅田美代子の側がステレオタイプに見えてしまう。
 ただ、樹木希林永瀬正敏の存在感が、そういうシナリオの弱さを補っている。それと、全体を貫いている河瀬直美監督の映像の、言語的でない部分も魅力的で、それが説得力を添えている。たとえば、踏切の前にあるどら焼き屋のたたずまいとか、桜並木とか、ハンセン病患者の施設に入っていく道の森の静かさとか、木々が発散する水の気が朝日を浴びているとか、そういう描写のそれぞれがきれいにオーケストレーションされているのはみごとだと思った。
 「駆け込み女と駆け出し男」は、井上ひさしの『東慶寺花だより』てふ小説を原作に、原田眞人監督が時代劇に初めて挑んだ。
 時代劇は、もうむずかしいんじゃないかと、これと同じく、大泉洋が主演した「清洲会議」を観たときに思ったものだった。だって、戦国武将が正座してんだもん。打ち首になるとき以外しないでしょ。滝川一益がブルドーザーで造成したような道を一人で走ってるし。
 だけど、この原田眞人監督のチームは、「わが母の記」のときもそうだったけれど、ロケハンがしっかりしているし、撮影監督がいいのか、映像が美しい。
 今回の作品でいうと、満島ひかりが眉をおとしてお歯黒なんです。しかも、所作とか言葉遣いとかすごくあだで色っぽい。「それがてっきりできるのさ」とかね。それ以外にも大門の門番とか、銭湯とか、早駕籠に乗るとき手ぬぐいをくわえるとか、そういう隅々まで気を配った描写がここちよい。
 神奈川新聞で映画評を書いている服部宏が、この映画の大泉洋を『幕末太陽傳』のフランキー堺にたとえていたけれど、『幕末太陽傳』に再現されている、品川遊郭の描写に較べてみたくなるできばえだと思う。
 登場人物も多く、エピソードもてんこ盛りなんだが、出し入れがうまいというのか、大泉洋狂言回しにみごとに料理して見せている。
 時代劇をこういう風に撮れるチームがまだ存在しているっていうのにびっくりしてしまう。プロの仕事。
 これを観た後、思い付きで鎌倉に行った。東慶寺北鎌倉駅をおりてすぐなんだし。でも、途中で気が変わって、そろそろあじさいの季節だしと思って、明月院にあじさいを観にいった。東慶寺はまたの機会に。