『樹木希林を生きる』は『ジョーカー』をさしおいて観よう

 もし、年に一本しか映画を観ないと決めている人がいたら、ことしは『樹木希林を生きる』を観ることをお勧めします。
 この週末は、『蜜蜂と遠雷』、『ジョーカー』と、この『樹木希林を生きる』が封切りされた。一日三本観るのはつらいから、どれかを金曜のレイトショーで観ておこうと思ったのだけれど、『命短し、恋せよ乙女』の余韻がまだ残っているせいもあって、これにして大正解だった。おそらくだけど、ホアキン・フェニックスと言えど、この樹木希林には太刀打ちできない。
 NHKで放映された番組を再編集したものだそうなので、もしかしたら、今さら興奮しているのは滑稽なのかもしれない。ただ、自分としては、この約2時間の編集でよかったし、これ以上付け加えることは何もないと思える。
 監督はNHKの地方局で一度、樹木希林と仕事をしたことのあるディレクターで、そのきっかけで、樹木希林に密着したいオファーをした。ちょうど年4本の映画を撮る予定があったので、じゃあ、それを撮ればっていう話になったみたいだった。
 その4本の映画は『モリのいる場所』『万引き家族』『日日是好日』『命みじかし、恋せよ乙女』。このうちの2作品は、樹木希林の死後に公開されることになった。映画の中でも「この4本で最後にするつもりなのか」と質問されて、樹木希林は否定しているが、むしろ、このドキュメンタリーにこそ、その思いが強かったのではないかと思える。
 4本の映画は、素晴らしい映画だったが、どこまでもそれぞれの監督の作品である。このドキュメンタリーももちろんそうだが、しかし、メインは樹木希林だし、テーマも樹木希林なのであるから。もしかしたら、最初は、もっと気楽なつもりで引き受けたのかもしれない。しかし、病がすすむにつれて、意味が重くなっていったのかもしれない。いつもどおり、その部分は見えないのだけれど。
 ただ、途中で、樹木希林に追い詰められた監督が泣き出してしまう。ディレクターひとりで小さなカメラを手持ちで撮っている撮り方だからこそ起こり得たことだと思う。大勢のスタッフではなく、一対一だったからだと思うが、しかし、取材対象に追い詰められてディレクターが泣き出すって、大丈夫か?、NHKと思ったのは確かだった。
 それは、でも、樹木希林の思い入れが、ディレクターより強かったってことなのは間違いない。歯に衣着せない人で、樹木希林に突っ込まれて、是枝裕和監督は『万引き家族』のシナリオを書き換えたのだそうだ。『モリのいる場所』の現場でも、熊谷守一の実際の奥さんの写真をヘアメイクさんに見せて髪型を直させている。いかにも「画家の奥様」みたいな髪型になっていたら、しまらない映画になっていたと思う。
 それでも、追い詰められて、反省して泣いちゃうこの映画のディレクターは、やっぱり特殊だと思う。その会話のシーンは笑っていいのかどうか、誰も笑わないので我慢したが、可笑しくて仕方なかった。そのシーンだけは、ディレクターが主役になってしまっていて、樹木希林のドキュメンタリーを撮っている立場を忘れているみたいなのだ。このときの樹木希林の困ったような感じもすごく面白かった。
 いずれにせよ、それでいったん中断みたいになるんだが、その後しばらくして、樹木希林の自宅で、お医者さんと終末ケアの打ち合わせをするところを撮ることになる。
 樹木希林が、全身癌に侵されていることは、つねづね公表されてきた。中島知子が家賃を払わなかったころよりもっと前からそう言われてきた。ずいぶん昔のような気がする。本人がひょうひょうとしているせいもあって、全身が癌という状況をどう受け止めていいのか、深刻に受け止められずにきた人が多いのではないかと思う。しかし、全身をスキャンした映像をみると、その転移は改めて痛々しく、このディレクターの態度が呑気に映ったとしても仕方ないと思う。
 医者と家族を帰したあと、監督に「このシーンを撮りに来てもらったのは何故だと思いますか?」「死ぬのが怖かったら撮りに来てもらうと思いますか?」「もしそう思うならそれは観る人の勝手だけど」と言った後の沈黙のバストショットはすごい。
 『万引き家族』での安藤サクラの泣きのシーンがカンヌで絶賛されたのだけれど、それを超えていると思う。そうした奇跡的なシーンを撮る機会に恵まれるドキュメンタリーはたぶん少ない。しかも、監督は、サンドバックになって樹木希林の攻撃をただ耐えているだけなのである。
 後日、それまで一年に撮りためた映像を編集して樹木希林に見せに来る。そのときの樹木希林もすごくよかった。腹にモノをためない人だというのがよくわかる。このとき、樹木希林樹木希林の観客になっている。ふるえるようなシーンだ。
 エンドロールは、スタッフが少ないのですごく短い。そのあと、おまけがある。その時、監督の木寺一考の顔がちょっと映るのだけれど,甘いマスクで、内田裕也には似てないけれど、あれ、これ、もしかしたら、樹木希林のタイプだったんじゃないかと可笑しくなった。