『滑走路』観ました

 『滑走路』は、32歳で自殺した萩原慎一郎の歌集「歌集 滑走路」を原作にしている。歌人は、処女歌集であるこの歌集のあとがきを入稿したあと、自ら命を絶った。
 「眼の前をバスがよぎりぬ死ぬことは案外そばにそして遠くに」
なんて歌があるそうだ。
 歌集を映画化する、魅力的ではあるけれど困難な仕事に取り組んだのは、これが商業映画デビューとなる大庭功睦監督。歌集を映画化するにあたって、そのレビューに書き込まれた様々な人の感想を参考にして、群像劇を構想したそうだ。
 桑村さや香の脚本がすばらしい。群像劇といいながら、十代、二十代、三十代のそれぞれの物語が次第にリンクしていく、その構成自体はめずらしくはないのだけれども、例えば、タランティーノの『パルプフィクション』みたいな派手さではなく、むしろ、十代、二十代、三十代のそれぞれの日常では忘れ去られているけれども、それぞれの登場人物をつらぬいてつないでいる芯みたいなものが次第に観客に見えてくる、ハードコアな手ごたえのあるストーリーに仕上がっている。
 『歌集 滑走路』の中で、大庭監督がいちばん好きな歌は「遠くからみてもあなたとわかるのはあなたがあなたしかいないから」だそうだ。この歌のイメージを一枚の絵にヴィジュアライズした監督の感覚はするどいと思った。
 この映画の、十代、二十代、三十代、それぞれのストーリーを独立で展開しても、おそらく映画として成立する。しかし、それをあえて並列で走らせたことで、登場人物さえ気づいていない、貫く軸の重み、伸びている影の先、みたいなことが響いてくる。
 とくに、水川あさみが演じた三十代のパートは、コアのストーリーからはいちばん遠いように見えるわけ。すくなくとも、図式的にはつながっていない。しかし、この夫婦の危機と、十代の淡い恋は対になっている。
 十代と二十代のストーリーだけだったなら、ちょっともやもやしていたかもしれない。それは、線的な、ある結末にすぎない。それだけでも、じゅうぶん胸に響くストーリーだけれども、しかし、そこに、水川あさみの側の別の顛末が加わることで、ミラーイメージというか、別の陰影が加わって、ストーリーが立体的になるというだけでなく、かすかながら希望の光が差す。
 『燃ゆる女の肖像』でいえば、なぜオルフェウスは振り向いたの?って謎の部分が、水川あさみはなぜあんな嘘をついたのかってことなんだろうと思っている。
 東京国際映画祭の舞台挨拶で、水川あさみが選んだ『歌集 滑走路』の一首は「自転車のペダル漕ぎつつ選択の連続である人生をゆけ」だそうだ。
 坂井真紀と浅香航大の印象的なシーンは、監督インタビューによると、「坂井さんがテストですごい芝居をしちゃいそうな」予感がして、テストなしの一発テイクで撮ったそうだ。大庭監督はこの決断について「自分で自分を褒めてあげたい」と言っている。
 また同じインタビューで、大庭監督は『パラサイト 半地下の家族』を意識していたと語っている。しかし、私は『パラサイト』よりこちらの方が個人的には好き。前にも書いたけれども『パラサイト』は、人物が類型化されすぎていると感じてしまう。
 大庭功睦監督は、ウッチャンナンチャンと同じく、日本映画大学の出身だそうだ。こないだの『喜劇 愛妻物語』の足立紳もそうだった。映画監督が映画の学校を出ているのは当たり前のようだけれども、いままで日本の教育機関にはこういうユニークな専門分野に特化したものが少なかった気がする。
 例えば、アナウンサーとか、こないだの「エレパレ」の西村さんなんかミスター慶応からアナウンサーになっている。ミスコン→アナウンサーっていうルートが正攻法になってるのは異常事態だって思わないのがおかしいと思う。こういう虚ろな教育システムがいじめの遠因なんじゃないかと思う。
 『喜劇 愛妻物語』のついでにふれておくと、これも草彅剛の『ミッドナイトスワン』も水川あさみ。すごいね。

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歌集 滑走路

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