昔、オノ・ヨーコがインタビュアーに「ジョン・レノンはあなたから影響を受けたと思いますか?」と聞かれて「影響を受けたなら自分でそういうでしょう」と答えていた。
1971年に撮られたこの映画は、最初の朝靄の中、2人が歩いていく「イマジン」の部分がMVとして使われることが多くて、よく目にするのだけれど、全体を通しては初めて見た。
ちょっと驚いたのは、この時期のオノ・ヨーコが意外なほどセクシーであるだけでなく、そのように振る舞っているようにも見える。
ビートルズが解散したのは1970年。この解散について、オノ・ヨーコが原因だといった無責任な噂もあったらしい。というか、近年ようやくポール・マッカートニーが公式にそれを否定した。
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オノヨーコはそれと戦わなければならなかった。フェミニズムともニューヨークアバンギャルドともかけ離れて見える服装は、そんな世間と戦うためのいわば戦闘服であって、そのために70年代に結びついて見える。オノ・ヨーコその人の個性には見えない。
隣にいる男ジョン・レノンは、まるで自分でその時代を作ったかのようにみえる。それは時代も世間の声も気にしていないからだ。オノ・ヨーコは、ニューヨークアバンギャルドのアーティストとしてではなく、ジョン・レノンのために戦っているようにみえる。必要以上に挑発的にさえ見える。
半世紀も隔たってしまった今から振り返ると、この時のオノ・ヨーコのジョンに寄り添う姿は、夫に献身的な日本女性のパブリック・イメージを裏切らない。
聴診器が出てくるけれど、あれは、オノ・ヨーコのパフォーミング・アートのひとつなのだけれど、ジョン・レノンは、それをヨーコの乳房にあてる。ジョンがヨーコに溺れているように見える瞬間だった。
これは前にも書いたけれど、Robert Whitakerという、ビートルズのオフィシャル・フォトグラファーの写真集に
こんな写真があった。後ろ姿の男性はジョン・レノン、こちらを向いている、というか、ジョンを見上げている女性は、シンシア・レノン、ジョンとのあいだにジュリアン・レノンをもうけたジョンの先妻。
この女性がこの男性にメロメロなのは一見してわかる。しかし、この熱い視線を向けられている男の後ろ姿には、何かしら満たされないものがあるようにみえないだろうか。
たぶんジョン・レノンは、このような視線を向けられることをパートナーに求めてはいなかったろうと思う。
ジョンとヨーコはともに幼年期を失った子供たちだった。アートとかロックとかは関係なく、そんな根源的なところで惹かれあっていたふたりだったように思える。
ところどころにオノ・ヨーコの作品も出てくる。というか、この映画自体が、一面は、オノ・ヨーコ作品であることは確かだ。そういう見方をする人は少ないかもしれないけど。階段の壁にかかっている板と金槌は有名だし、チェスのシーンは、
マルセル・デュシャンへのオマージュだろう。
ビートルズのメンバーではジョージ・ハリソンだけが出ている。のちにはオノ・ヨーコと犬猿の仲になるのでちょっと笑った。「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ」でギターを弾いていた。この曲は、ポール・マッカートニーを皮肉った歌詞で有名だ。いずれにせよ、ジョンはそういう自分の感情に嘘をつかない。
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