「ゴールド」「ローガン」「20センチュリー・ウーマン」など

knockeye2017-06-17

 「ゴールド」、「ローガン」、「20センチュリー・ウーマン」、「おじいちゃんはデブゴン」、「ドッグ・イート・ドッグ」も観たけど、まだブログに書いていなかったので。
 「マンチェスター・バイ・ザ・シー」、「セールスマン」をまだ観てない人は、個人的には、そっちを観たほうが良いと思うけど、人によっては「ゴールド」や「ローガン」の方が断然好きっていうかもしれない。
 ただ、「20センチュリー・ウーマン」に関しては、百合ヶ丘で人身事故があって、最初の5分か10分かを見逃してしまったので、あんまりちゃんとしたことは言えない。エル・ファニングが魅力的だったけど、エル・ファニングなら「ジンジャーの朝」の方がもっとよかった。何せ、「ジンジャー」の本名が「アフリカ」なのである。自分の娘に「アフリカ」って名付ける兵役拒否オヤジが最高に面白かった。今回は男子がちょっと草食系すぎる。
 草食系男子を描くにしても「逃げ恥」くらいユニークなファンタジーなら乗れたかもしれないけど、今回のは監督の自伝的な要素が強いそうで、そのせいか、キャラクターで遊びきれていない気がした。
 百合ヶ丘の人身事故で、気分が殺がれたのが大きいかもしれない。乗り換え駅の新百合ヶ丘ではなく、各停しか停まらない百合ヶ丘なので、ただの事故ではないんだろうなと思っていたが、後で聞くと、やはりとびこみ自殺だったようで、亡くなった方も、20センチュリー・ウーマンのひとりだったと思うが。
 「ゴールド」は、マシュー・マコノヒーが、メタボ腹に肥満して、頭を禿げ散らかして、歯をがたがたにして。最近は、クリスチャン・ベイルが「アメリカン・ハッスル」でこれをやっていたし、「ブラック・スキャンダル」のジョニー・デップも。なぜ、これが求められているのだろうかって、うがって考えると、オバマみたいじゃなく、トランプみたいな方に(あの謎の髪型)、アメリカの白人の共感を得られるってことがあるんだろう。考えてみれば、ジョン・ウェインだって、プレスリーだって、デブだしさ。
 アメリカの白人が、一時期の懐古的な気分から、自虐的な気分に落ち込みつつあるんじゃないかって、そんな気さえする。
 ただ、これは実話が元にある。1995年のことだそうだが、この映画のオチのつけ方を見る限り、この程度の詐欺事件は、もはや許容範囲、と言えば言い過ぎとしても、かりそめに自我を投影して面白がれるわけなんだろう。元合衆国大統領の写真も名前も平気で使ってるし、インドネシアの大統領もそのままスハルトだが、みんな騙された側だから、文句つけようものなら恥の上塗りだし。
 マシュー・マコノヒーの熱演を観てて、「ウルフ・オブ・ウォールストリート」を見逃したのが残念に思えてきた。3時間って上映時間にひるんじゃったんだった。
 「ローガン」は、ウルヴァリンの最終章として、これはこれで理想的な終わらせ方だったと思う。ただ、気になったのは、ローガンと少女の移動ルート。アメリカから国境を越えてメキシコに向かおうとしている。たとえば「大脱走」なら、ナチスドイツから、連合国の支配地域に逃げていくんですよね。アメリカから逃げていこうとする人たちのドラマが、西部劇の展開で語られるっていうアイロニーの苦さ。西部劇のヒーローがアメリカを去っていく「希望のラスト」には、深いところで衝撃を受けました。
 「おじいちゃんはデブゴン」は、サモ・ハン・キンポーの、老躯に鞭打ったカンフーの凄みを見れたからそれで満足。
 サモ・ハン・キンポーって、デブなのにアクションがすごいって、ギャップが醍醐味だった訳じゃないですか。それが今回は、デブで、老人なのに、アクションがすごいっていう、ギャップも2倍。ある意味ズルイ。ユン・ピョウがチラッとゲスト出演しています。
 「ドッグ・イート・ドッグ」は、ニコラス・ケイジが出てるので、とりあえず観ちゃった。しかも、今回はウィレム・デフォーと共演だから、滅多なことにはなるまいと。ただまあニコラス・ケイジは借金苦で何でも出るからね。そこがいいんだけど。
 今回のは、テンションの上昇率が低いと感じた。井筒和幸は褒めてました。悪い点については、ADの言うことをいろいろ取り入れすぎと、撮影現場を見たようなことを言ってました。