『ぶあいそうな手紙』『はちどり』『あなたの顔』

 この週末、新百合ヶ丘アルテリオ映像館で『ぶあいそうな手紙』、『はちどり』、『あなたの顔』と3本連続で見逃せない映画がかかってた。1日三本はきついかなと懸念したけれども、いい映画は目が疲れないってあるのかな。わからないが、ひとつには、3作品ともカメラが素晴らしかった。『はちどり』はとくに、絵の作り方が素晴らしかった。

 『はちどり』はウニという中二の女の子が主人公で、時代も1994年とはっきり設定されている。ウニはマンガが好きって設定になっているせいもあって、予備知識がないので知らないけれど、このシナリオか原作かの作家の回想であるかのような味わいにしあがっている。日本の私小説を読むような味わい。
 私小説がそうであるように、文体がだめならダメなので、その意味で、この映画の文体はたしかにデビュー作とは思えない成熟がある。
 日本の私小説が「高等遊民」といわれる大学生の出現を背景にしていたように、『はちどり』も、経済発展していく韓国の、とくに女性の地位向上を背景にしていると思える。男性はほぼ小道具くらいのあつかい。
 あやうくレズビアンの映画なのかと思いかけたくらいだったがそうでもなく、相対的なものにすぎなくても、韓国女性がそのころ手にしはじめた自由や未来の希望がこの映画の背景にあると思う。
 時代が閉塞していく日本の少女たちを描いた『ラブ&ポップ』なんかと見比べてみると、きっと面白いと思う。

 私としては、年齢的にも、性別の上からも、ブラジル映画の『ぶあいそうな手紙』の方に親近感を覚えた。 
 主人公のエルネストは独居老人で、最近は視力も衰え、手紙を読むことも困難になっている。故国ウルグアイから届いた手紙を代読、そして、返事を代筆する手助けを、アパートの住人に犬の散歩に雇われている若い女性ビアにたのむ。
 ここらあたり、ブラジルはポルトガル語だけれど、ウルグアイスペイン語なので、ちょっと胡散臭くても、故国のことばを話す相手を信用してしまう心理は、歳をとらないとわからないかもしれない。
 この映画の背景には、そういうことばの持つ力がテーマにあるように思った。タイプライターか手書きか、男文字か女文字か、手紙を「拝啓」で始めるべきか「親愛なる」で始めるべきかのふたりの議論はユーモラスだが、そういう会話のなかで、生きた言葉がよみがえっていく。それが望郷の思いをきわだたせていく。
 白眉というか、素敵なシーンだなと思ったのは、ビアと夕食代わりにハンバーガーを食べた後に、あれは、ちょっと日本では観たことがない、ラップのサイファーとかはあるのだろうけれど、そうではなくて、若者が輪になって詩を朗読している。そこにエルネストが参加して故国ウルグアイの詩人マリオ・ベネディッティの詩を朗唱する。
 背景の説明を一切排除したアナ・ルイーザ・アゼヴェード監督・脚本もみごとだった。ラストは、西川美和監督の『ディア・ドクター』を思い出して、考えさせられた。どちらも女性の監督だから書けたラストなんじゃないか。男性には思いつかないラストだと思う。

 『あなたの顔』は、上のふたつとはちがい、ほぼ全編、顔のアップだけでつづられている、脚本のない映画。ドキュメンタリーというのもちょっと違うかもしれない。ストーリーを語るつもりがない。
 5年前に商業映画から引退を表明したツァイ・ミンリャン監督作品で、むしろ、フィオナ・タンの映像作品とかに近い。個人的にはフィオナ・タンの映像作品には魅せられている。出自がファインアートなので、作品を美術館で観ることになるのだけれども、彼女の作品が商業映画として公開されるかされないかは、興行主に発見されるかされないか、観客に発見されるかされないかだけの問題だと思う。
 何を言いたいかというと、アート作品としての映像作品に近い。サイモン・フジワラとか、今思いつくのがなぜかアジア系の名前ばかりなのだが、それはともかく、そういうアートに親しんでいる人はかなり楽しめる作品だと思う。
 音楽は坂本龍一。あいかわらずすごいなと思うのは、エンドクレジットを見て初めて、「あれ?音楽がかかってたっけ?」と思う感じ。

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