何日か前に、江戸っ子についてふれた。三田村鳶魚は面白いので、是非読んでもらいたいと思うけれど、夏目漱石の『吾輩は猫である』にも、江戸っ子のそばの食い方が出てくる。中学生の時、あれを読んでまねして以来、癖になってしまって、そばをつゆに全部浸すようなことはまずしない。後に、あれは、そば屋がつゆをあまり使わせないための戦略であった、と知ったが、癖になってしまったので今更直せない。


しかし、おかしいのは、「江戸っ子」という言葉に一番敏感だったのが、江戸っ子自身だったということ。普通、都会人は「都会」という言葉に無頓着だ。今の東京都民は、東京にこだわっていないと思う。だが、江戸っ子は「江戸っ子のくせに・・・」とか言われると、激しく反応したらしい。そうでないと、そば屋の戦略にまんまとハマる事もなかったはずだ。


こういうコンプレックスの有り様は、上方にはなかったのではないかと、書いたけれど、細かく見ていくと、上方にも、京都と大阪の間で、微妙に相手を意識することがあったみたいだ。その辺のことを、うまく描いていたのは、桂枝雀の「愛宕山」。あれは、大阪をしくじった太鼓持ちが、京都のお大尽に付き合って、愛宕山詣りをする話なのだ。愛宕山のてっぺんで、かわらけのかわりに小判を投げる件り、その辺の京都vs.大阪の意地の張り合いを、コンテキストにして、説得力をだしていた。桂枝雀の落語は、理詰めだった。


ソバ屋にまんまと乗せられて、明治の世までそばの食い方受け継いだのもどうかと思うが、こういうのが、文化を豊かにする一面もあると思う。今は、東京の一人勝ち。ロシアでモスクワだけが、繁栄を謳歌しているのを見て、考えさせられてしまった。


ロシアと日本はかなり似ていると思う。違うのは、日本はロシアのように大きくないこと。小さいから、持っているんじゃないかと思ってしまう。たぶん、それだけじゃないだろうか?