十年ゴム消し

knockeye2006-12-02

朝日が西側の部屋にまで入りこむ季節が来た。おだやかに晴れた一日。だが、コートを着て味噌煮かつ定食を食っても汗をかかない。
海老名の郵便局に用事があった。そこに行くのにバイクで行くか、170円を払って相鉄線でいくか。バイクを楽しむには近すぎるし、たぶん駐車場所をさがすのに苦労するだろう。それに読みかけの本がある。
チャーが泉谷しげると対談しているのを見た。泉谷しげるはサービス精神旺盛で、「本いき」で3曲かそれ以上も歌っていた。「春夏秋冬」まで歌ったのだ。
チャーも彼とは古い付き合いなので、忌野清志郎のときとは大違いの盛り上がり。泉谷は「ギターは刀みたいなもので、初めて手にしたときは怖かった」といっていた。
買ったままになっていた忌野清志郎の本を読みながら、電車で海老名に出た。

十年ゴム消し (河出文庫)

十年ゴム消し (河出文庫)

引越しの荷物をほどいてたら、一冊、ノートが出てきたんだ。読んでみたら、けっこう、おもしろいと思った。こいつは、俺が、十年以上も前に書いたノートだ。

と、昭和62年に書いている。だから、ノートが書かれたのは70年代。ほとんど手を加えずに出版したそうだ。

・・・こけしは、責めたりはしないだろう。すぐに、ゆるすだろう。心の底に根にもったりしないだろう。あとで一人になって、泣いたりはしないだろう。無言で責めたりはしないだろう。ぼくを、ゆるすだろう。軽べつを、あたえる方向を、まちがったりしないだろう。愛が足りないからだ、なんて言わないだろう。悩んだりはしないだろう。また、いつ同じ事が起こるかもしれないと考えたりはしないだろう。

君は、なぜ、何もしないんだ。
なぜ、何もしてくれない。
いつか、遠くもない日に、ぼくを殺せるからか。


ねえ、君、誰も、かわいそうな人なんかいないんだ。今の時代にはね。
みんな、けっこう、楽しんでるじゃないか、自分を、かわいそうにしたりしてさ。同情されるのは、ごめんだなんて言って。
でも、残念ながら、誰も同情なんかしやしないぜ。早く気づけば、人並みの幸せくらいなら手に入れられる。


奴らは単なるラブ・ソングなんて見向きもしない。詩は見るが歌は見ないからさ。本当に感じることができないんだ。



今日は年に何回かの「わたしはお酒が飲めません」デモンストレーションの日である。それがなければ、映画でも見るか、美術館にでも行くかするのだけれど、郵便局に行ったついでに、海老名の国分寺跡を散歩した。ケヤキの落ち葉を強い風が吹き散らし、吹き寄せる。まだ言葉もしゃべれないような小さな子が、吹き溜まった落ち葉の上を、音を立てて歩いては無邪気に笑っていた。
「武蔵野のおもかげは、今わずかに入間郡に残れり」ここは武蔵野じゃない、さがみ野だけど。冬の日差しがつくる長い影と明るい落葉樹の林は、とにかく、日本海にはない。ここで枯葉がかさこそと音を立てるのは、あの町の上にべちょべちょとした雪を、風が振り落としてくるからなのだ。あちらでは暗い冬がはじまっていることだろう。