- 作者: 横光利一
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/12/09
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- 作者: ヴィクトルペレーヴィン,Victor Pelevin,中村唯史
- 出版社/メーカー: 角川書店
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- メディア: 単行本
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フランスに着いてすぐに拒否反応をおこしてしまって「もう見るべきものは見た」なんて言い出す始末。余りにも平凡な反応じゃないだろうか。
「日本には本格の小説がない」とか。「本格」なんて言葉は、今ではレトルトカレーのパッケージにしか見かけない。近代日本の文化人はこんなことばっかり言ってた。体裁ぶっていたのだ。だいたい、なんで欧「洲」なんだ?
『恐怖の兜』の方は、新・世界の神話プロジェクトのために書かれた。同じつくりの部屋に隔離された複数の男女が、チャットを通じて状況を認識しようとする。だが、そのチャットはどこかでセンサーされている。ミノタウルスの神話とチャットの組み合わせという発想がまずすばらしい。作者のヴィクトル・ペレーヴィンはロシア国内でダントツに人気のある作家だそうだ。
途中に出てくる「恐怖の兜」についての説明にはなんとなく仏教の影を感じたが、訳者あとがきによると、作者は仏教に帰依しているという噂があるそうだ。ロシアのネットではそんな噂が流布するらしい。
インターネットの登場以来、いろんな文化が距離的に近づいてきているのは、つぎみたいな台詞に如実に感じる。
「彼女はアニメのことを言っているのよ。無数の触手を持った悪魔が少女を陵辱するの。まるで強迫観念みたいに、日本のヴァーチャル・ポルノの一貫したテーマなのよ。」
だって、これはロシアの作家がギリシャ神話について書いた小説よ。ドストエフスキー、トルストイの国の作家が、なんで「うろつき童子」なのよ。
でも、錯覚しちゃダメだと思うのは、文化の距離が近づいても、人の距離は同じだということ。このまま文化が接近して、すべての文化を共有できるようになったとしたら、文化は人に対する拘束力を失うはず。つまり、そのときには、国粋主義者は文化をよりどころにできない。ていうか、わたしに言わせれば、すでにできなくなっていると思いますけどね。