『漱石先生ぞな、もし』

 週刊文春小林信彦のコラム、半藤一利の『日本のいちばん長い日』と『ノモンハンの夏』を読んだと書いてあった。辻政信についてはさすがに小林信彦さんも筆舌につくしがたいようだった。関東軍の狂気について考えると、遠く本居宣長に生じた小さな欺瞞が、ここまでの怪物に育つまで、それを制御できない日本というシステムに問題を感じてしまう。
 明らかに軍規に違反した者をなぜ「有用な人物」としてしまうのか?。なぜ反知性を知性に優先してしまうのか?。規範を蔑ろにするダブルスタンダードをなぜ易々と受け入れてしまうのか?。について考えると、日本における規範は常に借り物にすぎず、自律的な規範のかつて存在しない野蛮国だったと結論づけざるえない。
 今でも、「大人になれ」と言う言葉は「ダブルスタンダードを理解しろ」という意味で使われているとおもう。大人になることが、野蛮を制御することではなく、野蛮を受け入れることでしかない以上、その大人が作る社会が政治を育てることができないのは当然と思われる。
 半藤一利の『漱石先生ぞな、もし』を読んだ。半藤一利がいちばん好きな漱石の作品は『坊っちゃん』だそうだ。夏目漱石はつくづく評価の分かれる作家で、ジョン・アップダイクは「日本人がなぜ夏目漱石を偉大な作家というのかわからない」と言ったそうだが、グレン・グールドは『草枕』をいたく好んでいつも枕元に置いていたそうだ。
 夏目漱石は、ただ、私たちの日本という国に寄り添ってくれる感覚がある。時代の節目ごとによみがえる感がある。
 たとえば、イギリス留学中に義父に宛てて書いた手紙の一節。
「国運の進歩の財源にあるは申すまでも是なく候えば、(略)同時に国運の進歩はこの財源を如何に使用するかに帰着いたし候。ただ己のみを考うるあまたの人間に万金を与え候とも、ただ財産の不平均より国歩の艱難を生ずる虞あるのみと存じ候。欧洲今日文明の失敗は明らかに貧富の懸隔はなはだしきに基因いたし候。」
と、富の再分配の重要さをこの時(明治35年)すでに指摘している。
 また、日記には
「日本人を観て支那人と云われると厭がるは如何。支那人は日本人より遥かに名誉ある国民なり。ただ不幸にして目下不振の有様に沈淪せるなり。(略)西洋人はややともするとお世辞に支那人は嫌だが、日本人は好きだと云う。これを聞き嬉しがるは、世話になった隣の悪口を面白いと思って、自分方が景気がよいという御世辞を有り難がる軽薄な根性なり。」
とある。
 いちばん驚いたのは、漱石がデモに参加していたのかも、と思われる記述。市電運賃値上げボイコット運動に漱石が参加したと、都新聞に書かれたそうで、心配して切抜きを送ってくれた弟子に返事して
「賛成ならば一向に差しつかえこれなく候。ことに近来は何事をも予期しおり候。新聞くらいに何が出ても驚くことこれなく候。」
と書き送っている。
 漱石には門下生が多かった。芥川龍之介は、短編作家としての資質からも、ペダンティックな作風からも、漱石より鴎外に似ている気がするのだけれども、漱石門下なのは何故なのかなと疑問に思ったこともあった。良くも悪くも、漱石には若者を惹きつける魅力があったのだろう。