夏来たるらし

今日はコーヒーが美味いな。夏来たるらし。
しかし、自転車とは、かくもケツが痛い乗り物であったろうか。タイヤが小径だからよけいかもしれない。フロントにもリアにも一応サスがついているし、サドルにゲルまで入っているのに、これはいかがなものかと。仕方ないのでシートポストにサスが入っているものを、ネットで探し始めている。楽ちんポタリングというイメージとはだいぶ違う。
小沢一郎が「今度の参院選で負けたら、もうやめます」と言い出した。無理からぬ話で、今回の年金問題みたいな大失態をやらかした政権が選挙で負けないなら、事実上民主主義が存在していないのだから、政治家をやっている意味はなかろう。まっとうな判断である。
最近、目が見えているのは、見えていないよりはるかによいと思い始めた。高くのぼれば上るほど遠くまで見える。知識の多寡によってものの見え方は違うとしても、世の中には、目をつぶっている人っているよね。
あいつが犯人だと分かったとする。そこには手出しも口出しもできないとしても、それが見えているのは、それだけで意味がある。
コンプレックスについても、似たようなことが言えるみたい。コンプレックスのない人は、ざらにはいない。だけど、自分のコンプレックスが見えているかいないかの違いは大きい。大人とこどもの違いほど大きいと思う。
そういえばこんな話もあった。
むかし、弟子たちがお釈迦様に
「知らずに犯す罪と、知りつつ犯す罪とでは、どちらが重いでしょう」
と問うと
「それは、知らずに犯す罪が重い。焼けた火箸を、<熱い>と知ってさわる者と、知らずにさわる者とでは、どちらがひどい火傷を負うか。」
と、答えられたそうです。
こういうの思い出すの夏だからだなぁ。