『ロンドンの味』

ロンドンの味 吉田健一未収録エッセイ (講談社文芸文庫)

ロンドンの味 吉田健一未収録エッセイ (講談社文芸文庫)

昨夜のこと、吉野家で豚の生姜焼き定食を食べていると、突然停電になった。その少し前から雷がひどかった。吉野家に寄る途中にも、なかなか豪勢な稲光が見えたので、速さが売りの吉野家とはいえ、食って帰るまで空が持つかどうか危ぶんではいた。というのは、仕事用の買出し、荷物が多くなるので、レインウエアを持ってでなかったから。
それでも、食い終わって店を出るまではまだ降っていなかった。バイクにまたがり、信号を曲がり、次の信号に差し掛かるあたりで、バケツをひっくり返したような雨になった。半袖なので肌に直接当たる雨が痛い。といっても、距離は至近だし、ぬれて困るようなものは、ポケットの中の文庫本だけ。落ち着いてぬれて帰ることにした。足だけ濡れなかったのは、ゴローのゴアテックスブーツのおかげである。以前は、全身防水透湿でないとバイクに乗らなかったのに、ずいぶん不真面目なライダーになったものである。
バイク屋に頼んだリアキャリアは盆に間に合わないという連絡が来た。どうにもすべてが後手後手にまわる。忙しいせいというより、忙しさについていけないせいのようだ。キャリアくらいバイクを買ったと同時に頼めばよいようなものである。が、今回のKLXは見た目に惹かれて買ってしまったので、キャリアをつけて外観を損なうのがおしい気がしたわけ。お値段も手ごろだったせいもあるが、今にして思えば400とかにすべきだったんだよね。また250買ってるもんなぁ。
ところで、停電はあっという間に回復した。吉野家も肉をダメにせずにすんだようである。豚の生姜焼き定食を食い終わる前に回復していた。たしかに先進国に住んでいるようである。
帰宅後、着ていた物はすべて洗濯機に放り込み、文庫はドライヤーで乾かした。吉田健一の『ロンドンの味』。よく考えると吉田茂が総理になったころには、吉田健一はすでに36歳だった。小泉孝太郎とは立場が違う。23歳のころからすでに翻訳を始めていた。
「翻訳小説と翻訳者」にこう書いている。

和訳ということが、例えば英語をフランス語に訳す場合のように、一定の順序に並んでいる言葉を別な、併し字引を引いて見れば直ぐに解る言葉で、然も同じ順序に置き換えるということではなく、殆ど原文をその思想的な要素に完全に分解して、これを或る全く別系統に属する言葉で改めて表現することを意味する以上、翻訳それ自体が一つの、創作に近い仕事であることは明らかである。

この本全体を紹介するにはふさわしくないけど、興味深かったので引用しておきたいのが、バン デル ポストの『カラハリの失われた世界』を紹介した以下の文章。

またこれはブッシュマンがそのようにてなずけたのか、何千年間かのうちに、人間と動物の間にそういう関係が自然に生じたのか、一種の小鳥がいて、これはブッシュマン同様に野生の蜜を好み、人間と見ると飛んで来て特殊な声で鳴く。
これはポストが自分で経験したことだと書いているが、小鳥がそうして鳴くのは、蜂の巣の場所を教えるからという意味で、その人間がブッシュマンか、ブッシュマンと付き合ったことのあるものならば、その小鳥のあとから付いて行って、蜂の巣がある場所まで来るとある種の草を燃して蜂を眠らせ、蜜の一部を取り、一部を小鳥にやってお礼をする。ある日、夕方近くになってポストが野営地に選んだ所へその小鳥が来て、ポストがもし行けば帰りは暗くなって危険だと思って、聞こえない振りをしていると、小鳥は躍起になって鳴き立てる。-----ここにもブッシュマンの世界、あるいはその残光に似たものが見られる。

いぜん、河イルカと協力して魚を取る漁の話を紹介した、ごく近年まで行われていたそうだが、最近はモーターボートが増えたせいで、船の舷側をたたいてもイルカが現れなくなったそうだ。ブッシュマンの小鳥は今でも蜜を見つけるとやってくるのだろうか。