千年の祈り

千年の祈り (新潮クレスト・ブックス)

千年の祈り (新潮クレスト・ブックス)

イーユン・リーの短編集『千年の祈り』を読んだ。1972年北京生まれの中国人女性で、現在はアメリカに在住。市民権はまだ得られていないそうだ。ナボコフの後に、新人の処女短編集もいかがなものかと思ったけれど、共通点は母国語ではなく英語で書いている点。

ところで、なぜ彼女は中国語で書かず英語で書くのだろうか。「中国語で書くときは自己検閲して」しまい「書けなかった」、だから英語という「新たに使える言語が見つかり、幸運だと思う」とリーは語っている。

訳者あとがきにはまた、渡米四年目のある日突然、「自分は作家になりたいのだと気づいた」とあった。
これを読みながら、中国語はもう、中国について真実を語れなくなってしまったのではないか、という奇妙な考えが頭をよぎった。むかし、中島らもが「大阪弁は言葉としての寿命をとっくに終えている」と書いていたのを読んで、「あんたも普段大阪弁やん」と思ったものであったが、それはさておき、たしかに中国語は、ことわざ、漢詩、標語、の三つが、順繰りに出てくるだけのような感じもする。
いずれにせよ、表現されるべき内容が、書かれるべき言葉を見つけて、憑りついたかのような迫力がある。表題作もよいが、「ネブラスカの姫君」「息子」が気に入った。
奇妙に共感できるのは、西洋の伝統の腐臭には充分に気がついているが、東洋の文化が実体としてすでに滅んでいることももちろん知っている、そういう仏教社会に共通する孤独感、とまで言わなくても、浮遊感のようなものを共有していると思えるからのようだ。
このところ、ちょっと評判を落としている中国だが、こういう個人に触れると、もやもやが消え去る。国家は、幻想といって悪ければ、コンセプトに過ぎないわけだし、その意味では、私が国家の一員ではなく、国家が私の一部なのだ。そういう枝葉末節に煩わされて、よい小説を見落とすのはもったいない。