『湖の女たち』ネタバレ

 組織や社会が腐っていく、そのリアルな匂いが漂ってくる濃密な映画。『さよなら渓谷』の吉田修一と大森立嗣監督がふたたび。
 たぶん今年の映画を振り返ろうとするときには必ず蘇ってくる一作だと思う。
 吉田修一は『さよなら渓谷』の時は映画のシナリオまで携わっていたと記憶するが、今回はどうだったのだろうか。いずれにせよ、小説の重厚さの痕跡が映画に良くも悪くもまだ漂ってる。
 『福田村事件』の性描写を批判する人がいるらしいと聞いて鼻で笑ったけれど、卑小で猥雑だが情けないことにそこから離れることができないセックスへの渇望と、人間性に対する冒涜としか言いようのない歴史の闇を、けして関連づけることなく、並行して描くことに、この映画は見事に成功している。
 であるので、逆に気になってしまったのは、浅野忠信の関西弁なんだけど、イントネーションはちゃんとしてるんだけど、関西人から見てってだけなのかもしれないが、上方の言葉に独特な「甘さ」というか「甘え」がないと思った。
 浅野忠信の役どころは、かつては理想に燃えていた警察官が、ある事件をきっかけに、今はすっかり堕落してるのだけれども、その悪さは一方で甘えでもあるわけで、まあ、たぶんシナリオがよくできているためにそういうことにも気がついてしまっただけなのだが、関西弁の持っている色気は、言葉の距離の近さと、内容以上の説得力を持ってしまうその音楽性だと思った。
 関西弁も日本語であるから、中国語のように四声はないのだけれど、それでも、いわゆる平板な標準語に比べれば、ずっと音の起伏がある。それが、よく言えば説得力があり、悪く言えば押し付けがましい、よくいえば、色気があり、悪く言えば、うっとうしい感じに繋がるんだと思う。
 浅野忠信はもちろんお芝居に定評があるのだけれども、関西弁って、できない人はできないんだよね。今回の役どころは、そういう方言のニュアンスで説得力がかなり変わってくる役どころだと思うので、「関西人としては」という括弧付きで、ちょっと気になった。不思議は不思議。イントネーションは合ってるんだけど。
 でも、それはどこまでも重箱の隅にすぎなくて、映画全体はすごくよかった。滋賀県警が舞台なんだけど、地方警察なんてどこもあの程度には腐ってるんだろう。松本サリン事件の長野県警オウム事件の神奈川県警、に加えて、直近のニュースでは静岡県警が袴田事件で再審請求したそうだ。
 でも、この映画は袴田事件よりさらに昔の731部隊から、薬害エイズ事件、やまゆり園事件に至るまで、歴史的な大事件の風貌を刻みつけながら、それらの描写が、結局は、主人公ふたり(福士蒼汰松本まりか)の歪んだ性愛の描写へと流れ込んでいく、その無力感が時代の空気を浮き彫りにしていると思う。
 戦時中の子供は、兵隊の真似事で面白半分で人を殺している、それをそうと知りながら、「武運長久」なんて願っている女、そして、老いさらばえたかつての戦争犯罪者が、今度は、今の若者たちの優生思想によって、また、面白半分に殺されている。
 腐ってる社会、そんな社会に「警柝」(これもう死語らしくて検索に苦労した)であるべき警察官や記者でありながら、そして真相に辿り着いていながら、なす術がない、というより、結局、圧力に屈してしまう、その蹉跌。
 アメリカ映画なら、解決はしないまでも、せめて一矢は報いると思うのだが、日本映画はさすがというか、悪は時代を超えて連鎖し、正義は沈黙する。そして主人公は歪んだ性愛に走る。『福田村事件』の性描写がやりたかったのはむしろこっちだったのかもな。
 大人の映画って言うべきなのでしょうか。無力と挫折と歪みだけが心に残る。



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