『エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命』

 エルガルド・モルターラはユダヤ人の一家に生まれたが、まだ幼児のころに、イタリア語もしゃべれないお手伝いさんが「善意」でキリスト教の洗礼を授けてしまった。熱を出して苦しんでたのを見て、このままでは地獄に堕ちてしまうと可哀想に思ったそうだ。
 1858年、日本で言うと幕末のころ、イタリアはまだ統一前で、教会の力が強かったのだろう。キリスト教徒を非キリスト教徒が育ててはならないという教会法のもと、異端審問所警察によって連れ去られ、司祭として育てられることになった。映画では同じ境遇の少年たちが何人もいたように見えたが、彼らがみなユダヤ人だったかどうかは詳らかにしない。
 当時、わずか6歳だった少年が、本人の意志と関係なく、親許から引き離され、ユダヤ教からキリスト教へと改宗される(ところで、昔の和英辞典で「改宗する」をひくと「christianize」となっていた。)この事件は、ヨーロッパ全土だけにとどまらず、アメリカにまで知れ渡り大問題になったが、結局、ローマ法王ユダヤ人社会は和解に至ったそうだ。政治と宗教の大きな世界の綱引きに比べれば、ひとりの少年の人権など取るに足らないとされたのだろう。
 結局、この少年は何をされたことになるのか。
 奇跡によってユダヤ人のコミュニティから救い出され正しい信仰を得ることができたのか。それとも、カルト集団に拉致され洗脳されてしまったのか。
 結局、エルガルド自身も理解できないでいるのではないか。臨終の母親をキリスト教に改宗させようとして拒まれている。奇しくもそれは彼自身がされたことで、しかも彼の場合は拒むことすらできなかった。
 映画後半の、教皇ピウス9世の棺が群衆に川に投げ込まれかけたのも事実だそうだ。実際のエルガルドがそれに加担したかどうか知らないが、熱狂的な群衆の中に身を置けば、人の心理は簡単に動くものかもしれない。
 その後のエルガルドは、運命の前になす術なく、カトリックの司祭として生涯を終えている。
 『禁じられた遊び』の名シーンと同じように、キリストの磔刑像が動き出すシーンまであるのだが、この映画の奇跡はエルガルドを救ったりしない。エルガルドの目の前を素通りしていくのがおかしかった。
 今わたしたちは、ネタニヤフのラファ侵攻を目の当たりにしながらこの映画を見ているわけで、それだけで感想もバイアスがかかる。
映画『旅するローマ教皇』では、現教皇のフランシスコが、強制的に改宗されたカナダの先住民たちに謝罪していた。節操がないと見えるが、一旦政治と関わってしまった宗教は、カトリックに限らずこんな変容を繰り返すことでしか生き残れないだろう。

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